保護犬という言葉が社会的に
少しずつ認知されて来ましたが
保護された犬と聞くと
なんだか可哀想な気持ちになりますが
彼らは、本当に可哀想なのでしょうか?
最近、こんな話しを聞きました。
人伝ての話で正確さに
欠けるかも知れませんが
概要としては…
高齢の飼い主に飼われている犬が
ウロウロしていて
最終的には、自分で家に帰るものの
数日後にはまた
ウロウロしているのだと…
そんなことが何度か続き
何度めかで近所の人が捕獲し
動物病院へ
飼い主がわかっていたために
連絡を取ると
「もういらないから捨てたのに
何度捨てても帰って来て困っている…」
と言われたそうです。
動物病院は説得を試みたものの
飼い主の気持ちが変わることはなく
知り合いで、少し前に
愛犬を亡くしたばかりのご家族に
相談したところ
その日のうちに
家族として迎えることを
快諾してくれ
今はもう新しい家族に懐いて
とても可愛がって
貰っているとのことでした。
ところで
この話の犬は
可哀想でしょうか?
飼い主に捨てられて…可哀想?
確かに、そうかもしれませんが
私は、悪縁が切れ
新たな飼い主が見つかり
とてもラッキーな犬だったと
思うのです。
すべての飼い主に
犬を飼う資格があるとは限りません。
少なくとも、
都合が悪くなって
簡単に捨てるという選択を
行うような飼い主には
そもそも飼う資格はないのです。
捨てる前に
もっと出来ることは
あるはずだと思うのです。
その犬は
可哀想な保護犬ではなく
周りの人間達の
愛情に救われ護られた愛護犬です。
保護犬の可哀想な話は
多くの人の興味をそそります。
でも、本当の家族になりたいと願うなら
その犬の可哀想な話しは
忘れるべきです。
命の危機を免れ
多くの愛情に護られた
強運の持ち主なのだと
誇りを持って
迎えてあげて欲しい。
可哀想な子ね
ではなく
頑張ったね
偉かったねと
讃えてあげて欲しい。
人が言葉で
世界を理解するとするなら
そうした犬達の存在を
正しく理解してもらうために
保護犬という呼び方ではなく
愛護犬としたらどうかなと
思ったりするのです…m(_ _)m。