人が死と向き合う時
一番邪魔になる雑念があるとしたら
他者による他者のための
「可哀想」という感情や
「体裁」なのかもしれません。

こんなことを書くとまたしても
「可哀想」という声が
お経のように
聞こえてきそうなのですが・・・
昨今、増えつつある
ペット霊園というシステムも
私にとっては
受け入れがたい代物なのです。

今回の黒助の死に際し
迷いましたが、先に逝った
初代と先代のウサギ達同様に
遺体は、役所に
引き取りをお願い致しました。
どんな形かは定かではありませんが
合同葬で送って下さるとのこと。

もし、「覚悟」や「心得」のある
本物のお坊さんに
最後をお願いできるのなら
そうしたかもしれませんが
正直、なんの縁もゆかりも無い
お坊主の食い扶持に
この悲しみを利用されるのは
我慢ならないのです。

黒助に対して
「覚悟」や「心得」があるのは
たった数日の家族でしたが
私達しかいません。
私達が心を込めて祈る事
黒助のことをこれからも
時々思い出してあげることが
本当の供養だと思っています。

10年以上前の話です。
初代のうさぎが亡くなって
迷いながら、一人で区の保健所へ
遺体の処分を
悩んだ末に、お願いしに行きました。

受付にいたのは
つなぎの作業服を着た
中年の大柄な男の人。
特別な手続きもなく
お願いしますと
亡骸を納めた箱を差し出すと
特に何の説明もなく
ひょいっとその箱を
私から受け取り
何も言わずにそのまま奥へ
そして、私の目の前で
その辺にあった
ビニール袋へその箱を
おもむろに入れたのです・・・。

覚悟はしていたものの
なんとも言えない怒りと
悔しさで
箱を泣きながら
奪い返しました。

役所とはいえ
亡くなったものに対しての敬意を
払ってくれることを
ひそかに期待していたのに
見事に裏切られ、
モノ扱いされたことが死ぬほど悔しかった。

泣きながら車に戻り、
泣きながら考えました。

大切なものを失ったとき
他人がいかに頼りにならないか・・・。
この悲しみや心の痛みは
私だけのものでしかないのだから
私の気持ち一つで
潔くこの躯を送ろうと覚悟を決め
もう一度花屋に寄り
箱一杯に花を詰め込んで
もう一度、保健所へ行きました。

私がすごい勢いで箱を奪い返して
泣きながら帰ったことで
さすがに、まずいことになったと思ったのでしょう。
再び保健所にやって来た私に
皆が慌てふためくように立ち上がり
先ほど対応した男性をみんなで慌てて中に押し込め
所長らしき人がわざわざこちらへ歩み寄り
「先程は大変失礼いたしました。
ご家族同然に過ごされていらしたのでしょう」と
お悔やみの言葉をかけて下さいました。

保健所の職員全員がこちらを向き
神妙な面持ちでうつむき立ち尽くしていました。
私は、その男の人の態度を
非難するつもりはありませんでしたが
その人が部屋の奥で申し訳なさそうに
小さくなっている姿が見えました。
もう少し丁寧に
扱ってくれるだけで
良かったのにとは思いましたが
御霊が空に帰った以上
すべては、たいした問題ではないのです。

自分がどんなに
深い思い入れを持っていたとしても
手放してしまえば
その後、どう扱われても仕方がないのが現実です。
以前、山中にペット葬儀の業者が
遺体を遺棄した事件がありましたが
ああ、やっぱりと思っただけで
取り立てて驚きはしませんでした。
おカネで買える安らぎなんて
あの世にはないのです。

ペットブームが続くなかで
ペット霊園はこれから
益々増えていくことでしょう。
しかしながら
なくなった子達の御霊が安らぐ場所は
人の心の中にしかありません。

どうか、悲しみに負けないで下さい。
どうか、悲しみに付け込まないで下さい。

死んでまで
その死に優劣をつけたがる
人間のあさましさや
さもしさの呪縛を振り払い
亡くなった子達を
笑顔で空に返して
心から愛していたと
胸を張って生きていくことが
御霊にとって
一番の慰めになるのだと
私は信じているのです。