「感情」は個々の環境に左右されます。
人はそれぞれ異なる環境に支配されていますから
その時々で人の感情は変化し続けていきます。
ですから「感情」を他人と共有するというのは
実は思っている以上にとても難しいことであり
「感情的な動機」で繋がり続けることは
いずれどこかに歪が生まれ立ち行かなくなるのです。

会社や学校、たとえどんな組織にあっても
誰かへの批判や、不満であったり
悪戯に誰かを崇めたり、すがるような繋がりに
真に望むべき発展や未来は育まれません。
社会の最小の単位である「家庭」も
社会を構成するあらゆる組織においても
ひとりひとりの意識の変革こそが
家庭しいては、社会の変革に繋がるのですから
属する組織の大小やその良し悪しではなく
ひとりひとりが
まずは、自分自身の意識を変化させ
今いる場所で「高い志」を持ち続けることでしか
社会や大きく言えば
この世界の仕組みは変わらないのです。

神は細部に宿る・・・という言葉の通り
「高い志」は声高に何かを叫ぶことではなく
ひとりひとりの
日々のささやかな選択の
一つ一つに宿るものだと考えています。

いつの時代も、
「感情的になった集団」は自ら思考することを手放し
絶対的な「救世主」を望みますが
得てして、感情的な内紛で
自滅の道を辿るというのは良くある話なのです。

最後になりましたが、本当に強い人は
自分の「非力」さを心得ている人です。
「非力」だと知っているからこそ「懸命」になれる。

驕れるもの久しからず…
自戒を込めて。