先日、お知り合いのお家の
ドーベルマンのビビアンちゃんが
亡くなったと連絡がありました。
12歳を目前に、春を待つことなく
旅立ったとのこと。

お声掛け頂き
安らかな、お顔に
お別れを言うことが出来ました。

以前、一度だけ
ルイスとまこと一緒に会って以来の
再会でした。

大きな身体が
何だかとても小さくなって
その横でパパさんは
「亡くなったなんて信じられない」と
目を真っ赤に泣きはらしていらっしゃいました。

ママさんをはじめ
ご家族の皆さんが
ビビアンちゃんの旅立ち以上に
パパさんの悲しみの深さを
心配されておりました。

いつでも、どこに行くにも一緒だった「ふたり」
パパさんのお気持ちは察するにあまりある思いでした。

犬の一生は短い。
どんなに、長生きしたといっても
それは、人間の一生とは比べ物にならないくらい。
その一生を悔いなく過ごさせることは
犬のためでもあるけれど
残された人間のためであることが多いのです。
苦しい状態をずっと長引かせてまで
生かすことが正しいとは思いません。

しかしながら、年老いた犬との時間は
濃密で掛け替えのない時間である事でしょう。

別れは、いくつであっても辛いものです。

我が家には犬が三頭、猫二頭。
冷静に考えれば
この子達を我が家に受け入れた時点で
いずれ訪れる五つの悲しみを
すでに抱え込んでいるわけです。
全て愛おしく掛け替えのない命。

失う悲しみを思うと
可哀想で飼えないという人もいますが
その悲しみすら、
命の輝きを記す
素敵な贈り物なのかもしれません。

犬達はいつだって
「生きることの尊さ」や
「いまを生きることの素晴らしさ」を
その生き様を通して人に教えてくれる
まさに、人の「先」を「生きる」
「先生」なのだと思い至るのであります。