お邪魔いたしました(⌒-⌒; )
アルマにいる、
中型ミックス犬全頭と
3頭が合流(^o^)/☆
あちらこちらで
ゴングが鳴り響きますが
焦らず、迷わず
人がしっかり仕切ります。
人がしっかり仕切ることで
犬達は頭を使い始めます。
やっていい事、悪い事。
このハッピータイムは
それを学ぶための
犬達にとっては貴重な時間です。
犬と過ごす中で、よくありがちな
「あの子は⚪︎⚪︎するから、こうしないと」
という人間の先回り思考は
それが、犬でも子供であっても
学ばせるチャンスの芽を摘みます。
マネージの前に、
本来、何をその犬に
教えるべきかを考えたうえでの
必要に応じた
マネージでなければなりません。
そもそも…
興奮MAXでは理性は追いやられ
何も身につきません。
ハッピータイムを
単なるハッスルタイムで終わらせずに
興奮しすぎないで
いかに遊ぶかを学ぶ時間とした方が
良い意味で犬達はエネルギーを使います。
その「ほんの少しの我慢」が
犬達の精神的な成長を促します。
なかには、
「興奮しない」=「我慢」=「ストレス」
という人もいますが
「抑えきれない興奮」は
「血圧」「心拍数」ともに上昇します。
それが断続的に続く状況は
身体的には、遥かに
「ストレスフル」だという事実を
見逃してはなりません。
これは、人間でも
同じ事が言えるでしょう。
盲導犬や警察犬などの使役犬は
この「犬の興奮」を用いて
仕立てられる訳ですが
一般的に「使役犬の寿命は短い」と
言われる要因は「興奮」を多用する
育成法自体にあるのではないかと
個人的に思っています。
一部の人の中には
「興奮した犬が大好きな人」がいます。
散々、興奮をいたずらに煽っておいて
手に余ると「ダメな子ね」というのは
犬を馬鹿にした
人間の身勝手さと理不尽さを感じるのです。
それから個人的には
犬に「赤ちゃん言葉」を使うのも
程度の問題ではありますが
あまりお勧めしません。
「赤ちゃん言葉」を発する人のエネルギーは
赤ちゃんのような頼りなさを
犬に感じさせます。
それにも増して問題なのは
その言葉を発している人自身が
自分の言葉で
犬を擬人化して「赤ちゃん」と捉える
自己暗示にかかるからです。
子離れの出来ない親は
相手を赤ちゃん扱いすることで
自身の優位性や
自身の存在意義を無意識に相手に担わせ
自己を満足させる
エゴイストです。
エゴイストは、一人で生きていけず
そばにいる人の人生を食い物にします。
犬の生態を無視して
擬人化することは
犬にとっては「不当な扱い」です。
人間社会で言えば
人を人として扱わなければ
裁判沙汰になるくらい酷い話です。
思うに、犬を犬として扱うことに
抵抗感のある人は
潜在的に、犬は人よりも下と
内心、犬という動物を「見下す」気持ちが
隠れているのだと思います。
私にとって、犬は仲間です。
上も下もないのです。
あえて言うとするなら
役割のあり様として
人は前衛、犬は後衛というところでしょうか。
以前の記事で、「擬人化」が
何故ダメなのかを書きました。
人間の感情で犬を
理解しようとすることは
多くの場合
その人自身のニーズの投影であり
犬自身のニーズに
合っていないことが多いために
そのズレが問題を生むのです。
犬達は素知らぬ顔で
そんな人間の隠れたニーズさえも
受け止めてくれる
懐の深い存在でもあるわけですが
度を越せば犬の負担になるということも
犬を大切に思うなら理解しないとと思うのです。
犬達は、ただそこにいるだけで
人に十分尽くしてくれているのですから
ただ、そばに寄り添い
穏やかな時間を分け合う伴侶として
その存在を認め、多くを求めないでもいられる
感受性を私達人間側がもっと磨くことが
人と犬の健やかな関係性を育むためには
必要かと思う今日この頃でございます。
我が家では
基本的に犬達は自由気ままに過ごしています。
「それは困る」「それは嫌」
都度きちんと伝えれば、
犬はきちんと理解してくれます。
何度か繰り返せば、
やらなくなりますので
犬達はますます、
のびのびノンビリで過ごしています。
ひとまず今日は…
頭フル回転でしたので
みんな揃ってお疲れちゃん(⌒-⌒; )。