我が家には現在
犬二頭
預かり犬一頭、
猫二匹がおります。
このうちの一頭も
「可哀そう」と思って引き取った子はおりません。

以前、保護のボランティアをやっている人から
ご近所に保護活動が知られると
「あそこの猫がかわいそうだから、何とかしてあげて」という
相談や持ち込み
家の前に置き去りなどが増えるため
住所や名前を匿名で活動しているという話を
聞いたことがあったのですが
先日・・・
それが我が家にもありまして。
正直参りました・・・・(ーー;)

その猫は、つい最近まで
おばあさんと暮らしていたのですが
そのおばあさんがその家を出て
近所のアパートに引っ越すという際に
置いていかれたそうなのです。
近所ということもあり、いまはまだ餌やりに来ているものの
家が壊された後、その猫の行き場はないということでした。

そして、この相談をされに来たのは
そのおばあさんのお友達のおばあさん・・・。

動物大好きなその方は
その猫の先行きを思うと眠れない・・
家には、気の強い猫がいるから
自分のところには迎えられないから
なんとかしてあげてと
訴えられるのですが
心苦しいですが
私にはどうしようもないとお伝えしました。

一頭くらい増えたって・・・と
おばあさんはきっと我が家を見て思ったと思います。
ボランティアやってるんでしょと思われたと思いますが
そこは、超えてはいけない一線と感じたのです。

ボランティア先の子達は
飼い主がわからず
明日死ぬかもしれない状態の子達を引き出し
里親さんにつなげているのです。

ここで大切なのは
保護活動は
捨てる人を応援しているわけではないということです。


そもそも、飼い主のおばあさんがあまりにも無責任なのです。
飼い主のおばあさんに猫のことを考えるように
お友達のおばあさんが言っても
自分のことで手一杯だそうで
聞く耳持たずだそうなのです。

そもそも、野良の子猫を
「可哀そうだから」とそのおばあさんが
餌をやりはじめたのが発端で
それを知った動物好きのおばあさんだけが
そこに集まる猫達に避妊と去勢を施してきたとのこと。

言ってしまえば、昔ながらの餌やり婆の末路なのです。

小さい頃から餌を与えられ、人を恐れない猫は
野良として生き残ることは難しくなります。

話が飛びますが、いま日本全国で
多頭崩壊や飼育放棄が頻発しています。
そんな環境から助け出される犬や猫達も増えています。
先日聞いたのは、
若い女性のワンルームにチワワ18頭・・・。崩壊。
こういった際の大きな理由として
「この子たちの子供や孫が見たい」
「手術なんてかわいそう」
「手術費用がもったいない」

吐き気がします。

つかの間、欲望が叶い。
手に負えなくなれば
人頼み(置き去り、放棄)。税金頼み(センター持ち込み)。
いっそ、最後の愛情として
自分の手を汚して下さいと思うのは
言い過ぎでしょうか?

今回のおばあさんの件も同じです。
猫が可哀そうなのは当然のこととして
猫の面倒を見ますという人が現れたら
おばあさんは喜ぶだけです。
良かった。良かった。
そして、こういう人は平気でまた繰り返します。
猫を放置してきたことを後悔することも出来ません。

センターに持ち込む人。
公園に捨てる人。
置き去りにする人。
生活が落ち着き
頭がまともになり
動物達の行く末に思いが馳せた時
いつか絶対に強烈で、猛烈な後悔に苦しみます。
それが動物達への償いです。

「可哀そう」な猫は
その子だけではありません。
近所にはまだたくさんの野良猫がいます。
可哀そうだけでは
元の木阿弥なのです。