先日のIAHAIOで感じたのは
人々の善良な意識はひとところを目指しているということでした。
もちろん、国や文化の違いはあって
ひとくくりには出来ないけれど
世界平和を望むことと等しく
人間が人間らしくあるには
自然との共生がかかせないという意識の
大きな潮流を感じることが出来ました。
犬は私たち人間を
無条件で受容してくれます。
この深い愛情に触れることで
人間社会ですり減らされる
人間らしさを
取り戻している人は
とても多い気がします。
今回のカンファレンスでは
様々なお話がありましたが
なかでも
帝京科学大学 児童教育学科(心理学)の
濱野佐代子先生のお話しは大変興味深かったです・
まずはこんなテストが・・・
この絵の吹き出しに
人と犬の会話を書き入れるというもの。
これで何が解るかというと
回答者自身の心の有様が浮き彫りになるのです。
その解答例が
こちら
犬との会話を通して
自分の心の有様を知るという
自己投映法。です。
・・・話が少し逸れますが
これは、犬を飼っている人なら
毎日のように飼い犬に対して
無意識に行っているのではないかと思うのです。
犬に言葉はありませんし
犬の感情に色付けして解釈したがるのは人間です。
「この子が寂しそうだから」は・・・
その人自身が寂しいのです。
「この子とっても嬉しそう」は・・・
おそらく、その状況に
人間の方が喜んでいるのです。
犬の言葉を借りて
人は無意識のうちに
自分の心をマネージ
または抱えている感情の
発露の場として
いるのではないかと思うのです。
ということはです・・
犬のしつけを考える時
そのマネージの方向性を
見直す必要が出てくるのです。
ともかくは認識を新たにすること。
自分自身の無意識の
心の過剰防衛のマネージを
意識して、変更していくことと
犬の感情であるかのように
吐露していた「犬の気持ち」は
本当は自分自身の気持ちであって
犬本来のニーズには
まったくあっていないということを
犬という動物を正しく知ることにより
あきらかにしていくという
両輪の作業が
必要なのではないかと思い至るのです。
「散歩嫌いな子」や
「しつけやマナーの出来ていない子」は
犬が散歩嫌いなのではなくて
飼い主が散歩を楽しいと思っていないのではないか?
躾の入らないダメな子なのではなくて
その人が躾けなんか面倒なことはしたくないだけ
なのではないか?ということなのです。
表面的にはどうしたら?と悩んでいても
深層心理で正反対の気持ちを抱えていると
犬を躾けることは出来ません。
その乖離した気持ちに気付き
自分自身を正しく理解することで
犬に対して
伝えるパワーがアップするはずですし
犬も理解しやすくなります。
とかく現代は
笑いながら怒っているような
気持ちの悪い人が多いのです。
「嫌われたくない」
「認められたい」
その隠された人間のメッセージに犬は反応するのです。
犬に見透かされないように構えるのではなく
犬の本当の幸せを
自分の感情を抜きに考えれば
必然的に必要な態度をとれるようになります。
犬を愛するのはいいのです。
しかし、愛情だけで溺れさせては駄目なのです。
次回へつづく