私達は日々、様々な言葉に囲まれ
それを使い、それに頼りながら生きています。
日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語…
話し言葉は、世界の文化の数だけ存在し、
それをすべて学び、網羅することは
ほぼ不可能な程、多岐に渡ります。

世界の共通語として代表的なのは英語です。
英語が共通語として利用されるに至ったのは
誰もが理解しやすい、
その言語の持つシンプルさにあったと
何かで聞いたことがあります。

思うに、英語という言語がシンプルなものであるが故に
英語を話す時の言葉の表現力、
例えば声の抑揚や表情などを
図らずも磨かざるを
得なかったのではないかと思うのです。
それは、ハリウッドに代表される
演劇やエンターテイメントなどの分野を
大きく発展させる下地になっているとしても
不思議ではありません。

そして、言語の世界で、その対局にあるのが、
日本語なのではないかと思うのです。

英語では表現しきれないほどの
奥行きと深さを
言葉で表現することを目指したのが日本語です。
言葉に複雑な万能さを与えたために
言葉を発する人間自身の表現力を鍛えずとも
深いコミュニケーションを取り合うことが可能となり
表面的なわかりやすい感情の露出を敬遠した結果
奥ゆかしい、日本人の気質が
育ったのではないかと思うのです。

前置きが、だいぶ長くなりましたが
犬を躾ける時は、英語で躾ける方が良いと言う話しを
聞いたことはないでしょうか?

その理由は、英語の持つシンプルさです。
英語では、「オスワリ」は「シット」です。
日本語では、「座れ」「オスワリ」「座って」「座りなさい」
指示を出す人の、年齢や立場、
男女の差が顕著に言葉に現れるために
犬が混乱すると言うのがその理由です。

しかし、実際は犬は英語だから理解するのでも
日本語だから理解しずらいのでもありません。
アメリカやフランスから犬が日本にやって来たとして
その犬が人の言うことを
全く理解しなくなるかといえば、そうではないのです。
犬が理解しているのは、提示された言語ではなくて
対面している人の表情や身振り、手振り
そして、気配や態度だからです。

ちなみに、犬は人の話す言葉を音として理解します。

音に反応しているだけというと
なんだか、肩透かしを食らったような
気持ちになる人も多いかもしれません。

人間が、喜びを表現する際に発する
高い声に犬が呼応しているのは
人間の喜びを感知して共鳴してくれているのではなく
ただ、その音に興奮しているだけと言う現実に
犬に対して抱いてきた夢を壊されるような気持ちに
なるからなのだと思います。

世界には、話し言葉の英語をはるかに超えた
共通語があるのをご存知でしょうか?

それは、音を使わない言葉。
手話に代表される
ボディーランゲージという言葉です。
 
余談ですが、英語の全くできない私は
海外に行くと、ほとんどの場合
笑顔と、ボディーランゲージで乗り切ります!
何度も乗り切っているうちに
相手が何を言っているのかが
自然と理解出来るようになります。
同じ言葉が話せない…なんて
迷いや負い目で緊張していると、
観察する余裕はなくなりますから
犬や外国人を前にして緊張を感じないのも
ある意味、才能のうちかもしれません(⌒-⌒; )
いずれの場合も
物怖じや、躊躇いは混乱の元なのです。
 
目の前の犬の言葉を理解出来るようになると
世界の犬達と繋がるようになれる可能性があります。
ただし、環境によって
それは常に変化するものですから
犬がそばにいる限り、
観察し続けなければなりません。
犬が何頭か集まった場合には
「群れ」として機能し始める犬の変化を
つぶさに観察し理解しないと危険です。

犬をうまくコントロールできない人の多くは
犬を自分の「感情」で理解していることが多いです。
これは、犬という「動物」の
「行動心理」を知ることで乗り越えられます。
あらためて犬を理解しなおすことで
「犬を読める」ようになるのです。

駅前留学で英語を学ぶのが流行ったように
お散歩留学で「犬語」を学ぶのが流行りとなって
いつか「犬読」が犬を飼う人達の
スタンダードになることを願っています。
人と犬の新しい関係を目指して
微力ながら頑張ります( ̄▽ ̄)☆