いま、私は生きています。
そして、いつか私は死ぬでしょう。
それが命の答えです。
命のことを話すのに
大人も子供もありません。
みんな、ひとりひとりが命を抱えて生きています。
死について語れない大人が増えています。
それは、生きる事について語れない事と同じです。
見たいものしか見ないですむならいいのです。
でも、生きているとなかなかそうはいきません。

戦争は…
原爆は…
すべて人間が引き起こしたものだから
人間に生まれた以上
その、醜さ、悲惨さ、その悲しみを知らなければなりません。
大人も子供もありません。
子供の時にこそ、受け止められることもあります。

命に対して、子供は大人以上に真摯です。
だからこそ、大人は躊躇わずに命や戦争について語る義務があり
子供には真実をありのままに見聞きする権利があるのです。

世界は矛盾に満ちています。
大抵の大人は矛盾に目をつぶります。
けれど、子供は大人の矛盾にとても素朴に疑問を持ちます。
その疑問は大人として振舞おうとする人にとっては脅威です。
大人がいつでも正解を持っている、
持っていなければならないというのは間違った幻想です。
そのことを、吐露しなければ真実を話すのは難しくなります。
もしも、正しい大人ばかりだったなら
戦争も原爆もきっと存在しなかったでしょうし
この世界の悲しみはもっと少なくて済むはずなのです。
そのことを、大人は勇気を持って吐露しなければならないのです。

日々の生活の中で
大人だから、子供だからという大義名分の乱用、
子供の人間性に向き合わず、
子供扱いし続ける手抜きをしていればいるほど
本当のことを話す自信も、
子供がそれを理解し得るという信頼関係も培われません。
なんだかんだと躊躇しているうちに
子供は大人になってしまう。

大人とか子供とか、ではなく
人としてどうあるべきかを
同じ「いま」を生きる同志として
「過去」にしっかり向き合うことでしか
過去の痛みを未来に活かす術はありません。

死について語れない大人が増えています。
それは、生きる事を語れないことと同じです。

そんな、社会の中で
言葉通り、「命知らず」な子供が増えています。
子供はあっという間に大人になります。
「命知らずな大人」が増えていいことは
恐らくひとつもないでしょう。

真実は子供を強くします。
嘘や誤魔化しは子供を弱くします。

どんなに、過酷な事実であっても
いつかはそれを乗り越えるのが人間です。

大人よりも子供は「いま」を生きることが上手です。