ペタしてねペタしてね

人生の目標を見つける方法
人生の目標を見つけようとする前に、ひとつ質問をさせてください。

目標と目的、どちらを重視していますか?

これは“鶏が先か、卵が先か”というような結論の出ない話ではありません。
完全に筋の通った質問です。

まず、考えてみてください。
“欲しい物を手に入れるには、まず目的を定めなくてはならない”という言葉をよく耳にしますよね?

「何も目指していない人は、そのうち諦めるでしょう」
~詠み人知らず~

“心の中に、しっかりとした目標を掲げておくべきだ”とも言われますよね?

さあ、そこで、あなたにとって、目的と目標、どちらが大事ですか?

答えは明らかですね。まだ分かりませんか?

では、こう想像してみてください。

例えば、あなたは今日、スーパーマン(あるいはスーパーウーマン)になったとします。

そして、シンガポールかどこかの東南アジアの島にいて、
これからアメリカに行くことに決めたとします。あなたは――

*まず宇宙に飛び出し、アメリカの位置を知り、それから地球に戻って目的地に向かいますか?

*今いる場所から、まずよく知っている別の場所まで飛び、
そこから徐々にアメリカを目指しますか?

目的地に早く到着できる、効率的な行き方はどちらですか?
どう考えても、2つ目ですよね。

まず目的を決めてから人生の目標を見つける、というのは、実は、定めた目的から、自分が何になりたいか結論を出しているのです。

自分の目指す姿から、目的を決めているわけではありません。

またこれは、目的の達成に向けて行動するのを、
ぐずぐずと先延ばしにする人が多い理由の説明にもなります。

目的を達成できないから始めないのではなく、
達成するための情熱や願望、やる気、そして最も重要な動機が不足しているのです。


まず人生の目標を見つけましょう。

そうすれば、なぜ自分がこの世に存在するのか、なぜ目指すものになりたいと願うのか、
といった非常に具体的な疑問に対して、自分なりの答えを見つけることができるはずです。

前に、人生の目標を掲げることの重要性を説明しました。

その投稿で述べたとおり、価値ある目標を持てば、難題や障害に直面した時に、
乗り越える支えになります。

しっかりした目標があれば、あなたはどんな障害に直面しても、乗り越え、
目的に意識を集中させることができます。

目標は、大きくなくても、立派な目標になります。

何千人もの生活を変えるような目標でなくていいのです。

世界を変えるような目標である必要もありません。

あなたが良いと思えば、それを自分の目標にしてください。

思わないなら、目標にする必要はありません。

あなたが気持ちよく、自分らしくいられることが大切です。

人生の目標とは、あなたがそれを信じて掲げる限り、価値あるものなのです。

それでは、目標が本当に大事だと分かったところで、あなたの人生の目標を探してみましょう。

まず理解してほしいのは、人生の目標を見つけることは、
1度きりでは完了しないということです。

これは学習と同じように、生涯をかけて続けていくことなのです。

人生で様々な段階を経ていく中で、目標を見直し、再考し、改善していく必要があります。

人生の目標を見つけるためのあなたの旅は、今ここから始まるのです。
あなた自身が本当になりたい姿になるため、最初の第一歩を踏み出しましょう。

「絶対に成功を呼ぶ25の法則 サクセス・プリンシプルズ」「富を手にする10の戦略」などの優れた自己啓発本は、自らの人生の目標を理解するのに役立ちます。

目標を見つけるために一歩一歩、進んでいくための指針になるでしょう。

いくつもあるこうした本のなかで、私自身が気に入っているのは、
ジャック・キャンフィールド氏の著作「絶対に成功を呼ぶ25の法則 サクセス・プリンシプルズ」です。シンプルながらも心を揺さぶる質問がつづられており、
それに答えることで自分の人生の目標を見つけていくという、
順を追った自己啓発ガイドになっています。

1. 他人から、自分の性質として認められたいものを2つ書き出します。
他人があなたについて話すとき、必ず思い出すのがあなたの性質です。
“明るい”“思いやりがある”“陽気”それとも“優しい”ですか?


2. 他者と付き合う中で、あなたはどのようにその2つの性質を示しますか?
“創造性”を通じて?それとも、“意欲”“共感”ですか?


3. 次に、すべてが完璧だったら、世界はどうなるか想像してみてください。

人は他者とどのようにコミュニケーションを取るようになるでしょう?
あなたの身近にいる人たちは、どのような特性を示すようになるでしょうか。

ここでのキーワードは、“完璧”であることを覚えておいてください。

完璧な世界は、あなたにはどのように見えますか?


4. 最後に、1~3の答えをひとつにまとめます。
人生の目標を見つけるための第一歩は、これで完了です。

「喜びとは、創造的な感性が目標を達成する兆しにすぎない」
~~シャルル・デュ=ボス~~

さて、読み終わったらすぐに忘れてしまうという人が大勢いますが、
あなたはそうならずに、行動に移してください。

自分の目標を書き出して、それを毎日、読みましょう。

きれいに書き出してラミネートのカバーをかけ、どこへ行くときも持ち歩いてください。

熱意を持って、情熱的に、目標を読むのです。

何をする時も、人生における目標を達成しているのだという前向きな感情を持ちましょう。

これを一度で成し遂げる必要はないので、心配は無用です。先ほど述べたとおり、
人生の目標は常に継続して見つけるものです。

何より重要なのは、自分が熱意を持って情熱的に取り組める目標を発見することです。

他の人たちが掲げている目標や使命を参考にすることもできます。

そこから何らかのインスピレーションを得ることもできるでしょう。

ただし、人はそれぞれ違いますから、目標も異なるということに注意してください。
参考にしても、全部まねをしてはなりません。

自分自身が最も共感できる目標を見つけ、それに集中してください。
毎日、目標に目を通し、人生の目標を達成するのに、
必要な行動を取っているというのを確認してください。

私の目標ですか?それは――

「富と健康、幸福に満ちた人生を生きることです。人々を諭し、導き、共感することで、人々にとってインスピレーションとモチベーションの源となれればと思っています。そして、人々が明るく楽しく、幸せに、それぞれの願望を達成することができるよう、手助けすることです」

さあ、あなたの人生の目標は何ですか?

「私たちは、自らの人生にテーマや目的、目標を持たなくてはなりません。何を目指しているのか分かっていなければ、目的は持てません。私の目的は、私が死んだ時、誰かが『彼女は思いやりのある人だった」と言ってくれるように人生を生きることです」
~~メアリー・ケイ・アッシュ~~

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ザック・コンさんは、自己啓発サイトを立ち上げ、成功したい人たちをサポートし、導き、
励ますためのコミュニティーを提供しています。詳しく知りたい方は、以下のサイトをご覧ください。http://www.ZachKong.com
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ペタしてねペタしてね
ペタしてねペタしてね

カリフォルニアの刑務所で、イエス・キリストが見つかった?

初めてこの話を聞いた時、あっけにとられました。

なぜなら、第一、イエス・キリストが行方不明になっていたなんて知らなかったからです。


一体、何のことなのか、理解するまでに少し時間がかかりました。


そして、イエス・キリストが刑務所で、それもカリフォルニアの刑務所で見つかったということ自体が、驚きでした。どうしてその刑務所に行き着いたのか分かりません。

それに、他の人たちはどうして、それがイエス・キリストだと分かったのでしょうか?

普通の市民でも、免許証の写真と全く同じ顔をしている人など、
ほとんどいないのに、どうしてイエス・キリストと判断できたのでしょう。

その刑務所では、多くの人たちが、イエス・キリストに会ったと主張しています。

誰かが、刑務所の裏庭にある木の幹に肖像が隠れているのを見つけ、
イエス・キリストだと言ったのです。

そしてなぜか皆が、その肖像はイエス・キリストにそっくりだと思い込んだのです。


なぜ彼らが、それを“知り合いのハーバートおじさん”ではなく、
イエス・キリストだと思ったのか、私には全く分かりません。


私だったら、“ハーバートおじさんに似ている”と思うでしょう。

これがニュースになったときの実際の見出しはこんな感じでした。


“パリス・ヒルトン、刑務所で神様を見つける”ご存じのとおり、
パリス・ヒルトンとは、「ヤバいわ」という言葉が大好きな彼女です。

そして私たちは、何が“ヤバい”のか分かっています。

私は個人的にパリス・ヒルトンを知っているわけではありませんが、
こういうお騒がせにかけては、彼女はプロのようなものです。

彼女は、自分が第一人者になって、騒がずにはいられないのでしょう。

私の推測にすぎませんが、
多分、彼女は刑務所における自分の状況をちょっと“ヤバすぎて”耐えられないと思ったのでしょう。


そこで、それほど“ヤバく”ない、別の何かを探していたのでしょう。

冷たいシャワーでも浴びて頭を冷やすべきですね。

刑務所で宗教に目覚めたという人に、驚いたりしてはいけないのですが、
やはり、いつも、びっくりしてしまいます。

刑務所に入った人は皆、ある種の“刑務所教”に入信するようです。誤解しないでください。


私は宗教心を持つことには大賛成です。


道楽にふけり、不道徳な生活を送ってきた人、セレブと呼ばれるような人たちが信仰心を持つことには、特に賛成です。

宗教を適度に生活に取り入れることは、誰を傷付けるものでもありません。

ただ、残念ながら、誤った信仰心は、なんの救いにもならないのです。

私が思うに、“刑務所教”に入信した人たちは、“収監されてしまう”までは、宗教について考えたことなどなかったと思います。


“収監されてしまう”と表現したのには、理由があります。


私は牧師として、受刑者たちに神の教えを諭すため、何度も刑務所を訪問しました。


そして、実際のところ、“収監されてしまった”人たちの中に、罪を犯した人はいないということを知っています。


皆、濡れ衣を着せられているのです。犯人に仕立てられて、“収監されてしまい”ました。

あるいは、刑務所に面会に訪れたことで、トラブルが起きた場合もあります。


そういう場合、その罪のない人がなぜ宗教を必要とするのか、私には分かりません。

私はずっと、宗教は罪深い人々のためのものだと思ってきました。


宗教を持つことには賛成ですが、
“刑務所教”に入信してしまう人がいるのはなぜなのでしょうか?


“喫茶店教”でもいいのではないでしょうか?

その方がずっとストレスも少ないし、おいしいコーヒーを飲むこともできます。


宗派によって、ドーナツやベーグルも付いてきます。食べ終わったら、家に帰ればいいのです。


喫茶店教の問題のひとつは、カプチーノにはお金を払わなければならないことです。


こんな問題なら、“ヤバく”ないですね。


当然ですが、この宗教の問題は、喫茶店によく行く人たちのほとんどは、
宗教はあまり重視していないということです。


喫茶店では大抵、「誰が誰と付き合うか」「誰が誰に振られたか」「今週、リハビリ施設に入るセレブは誰だろう」といった、生活に直接関連するような話題が上がります。

私が考えたのは、“リハビリ教”があればいいのではないか、ということです。

嫌な臭いがする古い刑務所より、リハビリ施設の方が宗教を見出せそうです。

実際、私なら、宗教探しの場所として、リハビリ施設を選ぶでしょう。

近頃のリハビリ施設は、最新の短期ステイ制度を導入しています。

こうした取り組みは、今後の成功が見込まれています。

本物のセレブなら(最近では、誰かそんな人はいたでしょうか?)、
1年もリハビリ施設で過ごさず、お気に入りのリハビリ施設を選んで、短期ステイで充実した時間を過ごすでしょう。


こうした施設が作られているという最近のトレンドをもっと前に知っていれば、
私も、セレブ向けのどこかのリハビリ施設に多額の投資をしていたでしょう。


こう考えるのは私だけだと思いますが、このようなリハビリ施設は、宗教に目覚めるのに最適の環境だと思います。

何と言っても、静かで穏やかで、自分自身と向き合うための時間がたくさんあります…
ついでに、日焼けする時間も。


当然、日光浴を楽しんでいる間に、日焼けし過ぎて肌を傷めてしまう可能性もありますけれど。


これは“ヤバい”ですよね!

ところで、私が、どんな人たちの間に宗教が浸透すればいいのにと思っているか、
分かりますか?


自分でも馬鹿げた考えだと思いますし、はなから反論されてしまうでしょうが、私は、政治家に信仰心を持ってほしいと願っています。


政治家の間にはびこる嘘つきウィルスを治癒するような、影響力の大きな宗教があればいいと思うのです。それも、ひとつの宗教でしょう。


イエス・キリストについて私たちが知っていることとも一致します。


イエス・キリストは、どちらかといえば芳しくないと思われている人たちと付き合うことに慣れっこでした。酒場の主人、売春婦、宗教指導者たちなどです。


政治家というのも大抵、芳しくない人たちが集まる場所の方がうまく溶け込めるタイプです。


“政治家が上院でイエス・キリストを発見”という新聞の見出しを想像してみて下さい。

ニュースですよね。

誰もそんなことは信じないでしょうし、
その政治家はリハビリ施設に入れるべきだと言われるでしょう。


イエス・キリストを見つけるということは、これほどの騒ぎになるわけですが、
キリストは、決して迷子になっていたわけではありません。

確かに、神を見つけた、という言い方をする人がいます。


そういう人たちは、迷っていたのは自分自身であり、
神が自分を見つけてくださったのだということを分かっていません。


正しくは「神様が私を見つけ出してくださった」と言うべきでしょう。

イエス・キリストも、そのことを明確に示しています。

「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(ルカ福音書 19章10節欽定訳)。本当にイエス・キリストを“見つけた”とき、その人の性格や行動は根本から変わります。パリス・ヒルトンがどう変わるのか、見守りましょう。

ジェームズ L. スナイダー ― 受賞歴もある作家で、人気のコラムニスト。妻のマーサと米国フロリダ州オカラに暮らす。連絡先は、jamessnyder2@att.net.



自由へと身を委ねる――恩恵を受ける

今月初めのある日、私は自宅で窓のそばに座り、リンゴの木に咲いた花や、
遠くのブドウ園を眺めていました。

2階の廊下の窓際に机があるので、その前に座って、景色を見降ろしていたのです。

すると突然、後ろから鳥の羽ばたく音が聞こえました。

廊下の端の窓が開いていたので、そこからメキシコマシコが入って来たのです。

飛び回る様子を見ていると、鳥はやがて私の書斎へ飛んでいきました。
出口を探していたようですが、窓にぶつかってしまいました。

私は書斎に行って、鳥がわずか25センチほど先の窓のすき間に気付かず、
窓にぶつかっている様子を眺めました。

それから、私はゆっくり静かに近づき、鳥を外へ導いて助けてあげようと、
願いを込めて手を伸ばしました。

最初、鳥は私の手を拒み、つかまるまいと必死になって逃げました。

自分の行く手をさえぎる障害物を前にして、上下に飛び回りました。
私は落ち着いて、ゆっくりと鳥をつかまえるチャンスを待ちました。

優しく、しっかりと鳥をつかまえる機会をうかがっていたのです。

すると突然、鳥はバタバタと必死に飛び回るのをやめ、静かに私の指に止まりました。

まるで木の枝にとまるように自然な動きでした。

その瞬間、私と鳥は心が通じ合ったのです。

お互いを理解したということです。私はずっとつながっていたいと感じました。
でも、この心の絆こそ、私たちのつながりであり、鳥が私を信頼している証しだと思いました。

私はゆっくりと、開いた窓の方へ手を動かしました。

鳥は先ほどまで冷静さを失い、バタバタと飛び回っていましたが、落ち着きを取り戻しました。

すぐに目の前の窓のすき間に気づくと、感謝するかのように二度、明るくさえずり、
外の自由な世界へと飛び立っていきました。

私は、机に戻り、自分とあの小鳥の共通点について考えました。

私は、いつも、誰かから差し伸べられた救いの手を拒んでいます。

与えられる助言に耳を傾けず、周りの助けから必死に逃れようとしています。

その手は人間のものかもしれませんし、神のものかもしれません。

あるいは、さっきの鳥の羽根かもしれません。

いずれにせよ、私を自由な世界へ導く救いの手は、常にそこにあるのです。

ソノマ郡の美しい風景に癒やされながら、私は自分が神の手に包まれる様子を想像しました。

ちょうどあの鳥が、優雅に私の手に止まったように。

神に我が身を委ねると、緊張が解け、心配が薄れていくのを感じました。

その日から、私は、あの鳥のようにもがくことがなくなりました。


ただ、他の誰かが苦しんでいるのを見ているような気分になることがあります。


でも、自分にはどうすることもできません。

手を差し伸べることも、数センチ離れたところに開かれた窓があると伝えることもできないのです。

そして、苦しんでいるのは私自身でした。

私は拒んでいました。


でも、少しずつですが、あの鳥のように、拒むことをやめつつあります。
そして、神の愛に満ちた自由への道を受け入れ始めました。

MIMのエドワード・ミルズ氏は、ライフコーチであり、教師、講演家でもあります。
人々が、もっと幸せに、十分に、天賦の才を世界のために使えるよう、導いています。

ミルズ氏の月刊ネット新聞「エボルビング・タイムズ(進化する時代)」は、同氏のホームページ(http://www.edwardmills.com)、またはブログ(http://www.evolvingtimes.com)から購読できます。

ペタしてねペタしてね
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人間の心の本質

人間は、地球上のその他すべての存在から分離し、独特な立場にあります。

人間以外のものはすべて、“生物でも無生物でも、生きていてもいなくても”自然界との調和を保つため、規則的なパターンに従って行動します。

一方で人間は、“限界”のなかで、小さな自由を満喫しているようです。

人間は自分で生き方を決め、自分たちの言葉を話、多くの知恵を理解して学びます。


また、感情をコントロールし、目の前の問題に適切に対処できます。

これらはすべて、人間だけに特有の性質です。

実際のところ、無限に広がる宇宙には、
人間の意識的な行為によって影響を与えられる領域が存在します。

この事実が、人間の思考能力と外界とを隔てています。

人間には、気づき、行動する能力があります。

外界には、危険が多く存在し、それを止める手立てはありません。

哲学では、心あるいは動機が、物と対比されます。

物とは時空を超えて存在するものです。

人間の体は、万物を支配する力の影響下にあることを、十分に理解しましょう。


人間の、考え、欲し、行動するという能力は、すべて心から生まれたと分かるはずです。


心は、目に見えず、形もありませんが、力強いものです。

人間の心には、思考や学習、記憶、想起、選択といった働きがあります。

この心の働きが、人間と世界の他の存在とを区別しています。

人間の心の性質は、鏡の性質と似ています。人間の心には鏡と同じく、次のような様々な機能や特徴を備えているからです。


(a)大きく開かれている、(b)すべてを正確に映し出す、(c)いかなるイメージにも偏らない、(d)明確に識別する、(e) あらゆるものを完成させることができる。

大きく開かれている

ドイツ出身のアメリカ人医師、マーティンH.フィッシャー(1879~1962年)は、執筆活動も行い、「世界は探究心を満たすための実験室だ」と述べました。


人間の脳が様々な機能を持ち、宇宙ほど大きな思想を秘めているのに、あんなに小さいなんて、不思議ですよね。

人間の心がいかに大きく開かれているか分かります。

人間の心には色々なものが存在します。

身体にいくつホクロがあるかといった小さなことから、
具合が悪いときに、どれだけ咳止めシロップを飲むかといった重要なことまで、
心に含まれています。

心は、幻想も現実も作ることができます。

喜びも悲しみも、衝突も落ち着きも、もたらします。

愛も憎しみも生むことができます。

最も重要な点は、心は、理性に影響を及ぼしたり、
恐怖や困惑によって傷つけたりして、あなたという人間を作り上げるということです。

毎日のように、あなたには存在価値がないと思わせて、あなたを形成することもあります。

“あらゆることに”実際に心をさらすことで、心に秘密がなくなります。

ただ、そうはいっても、私たちが外部から簡単に入手できるすべての情報が常に、社会によって明確に、“善悪”や“正否”、“神と悪”というように区別されているわけではありません。



だから、無限大の心は、あらゆるものにアクセスできるのです。
そして、私たちの行動を制限することはありません。

世界は探究心を満たす実験室だと言うフィッシャー氏の考えに、私たちは同意せざるを得ません。

私たちがほとんど何も知らないような、巨大な心の世界が存在するのです。

この世界はすべて、人間の心から作られています。

私たちの心が世界を作りあげ、ひとつにまとめています。


大事なことは全部、人々の心によって決められました。

この世はすべて心の世界であり、心から生まれたのです。

すべてを正確に映し出す
パム・ゴールデン氏は名著「チューズ・ザ・ハピネス・ハビット(幸福な習慣の選択)」でこう書いています。

「双子の兄弟を例にとってみましょう。
一人はアルコール依存症で落ちぶれましたが、もう一人はビジネスマンとして、とても大きな成功を収めました。

アルコール依存症になってしまった方は理由を聞かれると、
『父親が飲んだくれだったから』と答えました。

ビジネスマンとして成功した方に同じ質問をすると、答えは『父親が飲んだくれだったから』でした。背景は同じ、育ちも同じ、でも、選択が異なったのです」

この兄弟は、どちらも全く同じ体験をしたのに、異なる考えを選びました。

一人は飲んだくれの父親を、手本として捉えました。


その結果、自分も父と同じになりました。


一方、もう一人は父の姿をまねてはならないと考え、自分は反対の行動を取りました。

そして、ついに成功を手にしたのです。

長年にわたって抱いてきた、こうした考え方が、双子の現在の状況を招きました。


どちらのケースでも、状況に対する考え方が、現在の境遇につながっています。


つまり、私たちの心にあるすべての考えは、
完全・確実に私たちの行動に反映されるということです。

思考が私たちの心の中にイメージを作るからです。


すると、心の中のイメージは、喜びや悲しみなどの感情をコントロールするようになります。

コントロールされた感情によって、私たちは行動します。

そして、行動から結果が生まれます。

したがって、心、特に思考が、結果をもたらすと言えます。


簡単にまとめると、よく言われるとおり、「あなたの思考があなたを作る」ということです。

アジズ・メクナシ
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アジズ・メクナシ氏は、自己啓発に役立つホームページを運営しています。
www.azmek.co.uk
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アジズ・メクナシ氏は武術の指導者で、自らを鍛えることにも余念がありません。


多言語に堪能で、自己啓発に役立つ無料ホームページを運営しています。
http://www.azmek.co.uk


自由へと身を委ねる――恩恵を受ける今月初めのある日、私は自宅で窓のそばに座り、
リンゴの木に咲いた花や、遠くのブドウ園を眺めていました。


2階の廊下の窓際に机があるので、その前に座って、景色を見降ろしていたのです。


すると突然、後ろから鳥の羽ばたく音が聞こえました。


廊下の端の窓が開いていたので、そこからメキシコマシコが入って来たのです。


飛び回る様子を見ていると、鳥はやがて私の書斎へ飛んでいきました。


出口を探していたようですが、窓にぶつかってしまいました。

私は書斎に行って、鳥がわずか25センチほど先の窓のすき間に気付かず、窓にぶつかっている様子を眺めました。


それから、私はゆっくり静かに近づき、鳥を外へ導いて助けてあげようと、願いを込めて手を伸ばしました。


最初、鳥は私の手を拒み、つかまるまいと必死になって逃げました。


自分の行く手をさえぎる障害物を前にして、上下に飛び回りました。


私は落ち着いて、ゆっくりと鳥をつかまえるチャンスを待ちました。


優しく、しっかりと鳥をつかまえる機会をうかがっていたのです。

すると突然、鳥はバタバタと必死に飛び回るのをやめ、静かに私の指に止まりました。


まるで木の枝にとまるように自然な動きでした。その瞬間、私と鳥は心が通じ合ったのです。


お互いを理解したということです。

私はずっとつながっていたいと感じました。

でも、この心の絆こそ、私たちのつながりであり、鳥が私を信頼している証しだと思いました。

私はゆっくりと、開いた窓の方へ手を動かしました。


鳥は先ほどまで冷静さを失い、バタバタと飛び回っていましたが、落ち着きを取り戻しました。


すぐに目の前の窓のすき間に気づくと、感謝するかのように二度、明るくさえずり、
外の自由な世界へと飛び立っていきました。

私は、机に戻り、自分とあの小鳥の共通点について考えました。


私は、いつも、誰かから差し伸べられた救いの手を拒んでいます。

与えられる助言に耳を傾けず、周りの助けから必死に逃れようとしています。


その手は人間のものかもしれませんし、神のものかもしれません。

あるいは、さっきの鳥の羽根かもしれません。
いずれにせよ、私を自由な世界へ導く救いの手は、常にそこにあるのです。

ソノマ郡の美しい風景に癒やされながら、私は自分が神の手に包まれる様子を想像しました。
ちょうどあの鳥が、優雅に私の手に止まったように。神に我が身を委ねると、緊張が解け、心配が薄れていくのを感じました。

その日から、私は、あの鳥のようにもがくことがなくなりました。


ただ、他の誰かが苦しんでいるのを見ているような気分になることがあります。


でも、自分にはどうすることもできません。

手を差し伸べることも、数センチ離れたところに開かれた窓があると伝えることもできないのです。

そして、苦しんでいるのは私自身でした。

私は拒んでいました。

でも、少しずつですが、あの鳥のように、拒むことをやめつつあります。

そして、神の愛に満ちた自由への道を受け入れ始めました。

MIMのエドワード・ミルズ氏は、ライフコーチであり、教師、講演家でもあります。


人々が、もっと幸せに、十分に、天賦の才を世界のために使えるよう、導いています。


ミルズ氏の月刊ネット新聞「エボルビング・タイムズ(進化する時代)」は、同氏のホームページ(http://www.edwardmills.com)、
またはブログ(http://www.evolvingtimes.com)から購読できます。


瞑想:集中力を高めるための瞑想私は数日前、アメリカン・メディカル・ジャーナル誌を読みました。


“活発な精神を持ち、集中力を高めながら年を重ねることが身を助ける”という記事が掲載されていたのです。


主な内容は、70才以上の人が、集中力を高めることで、
どれだけ前向きな気持ちでいられるかについて研究したものでした。

そこでは、集中力を高めるための、簡単な瞑想のテクニックも紹介されていました。

定期的に実行すれば、必ずや今の精神状態を保てるというのです。

集中力を高めるための簡単な方法として、2つの瞑想法が紹介されていました。

一つは数息観です。そして、もう一つは、ヴィジュアライゼーションを利用する瞑想法です。


数息観――この瞑想法を始めるには、
まず、目を閉じて座っていられるような快適な場所を見つけましょう。

この瞑想法では、注意を散漫にさせるものは、大敵です。


自分の内からも外からも、騒音に悩まされるからです。

2つの瞑想法のいずれを実践するにせよ、ヒーリング・ミュージックは使わないことをお勧めします。

数息観の次のステップは、背筋を伸ばし、正しい姿勢を取ることです。

ゆっくり、軽く呼吸することから始めましょう。


息を吐き出しながら、数字の「1」を思い描きます。

数字が思い浮かんだら、息を吸ってください。

数字の「1」に集中しながら息を吐き出し、次に数字の「2」を思い描きます。


100まで、ひとつずつ、数字を順番に思い浮かべましょう。

呼吸と視覚化を続けるのです。100に達したら、瞑想を終えても構いません。

この瞑想法の難しいところは、ひとつの数字に集中できるまで、次の数字には進めないということです。

視覚化しながら集中力が途切れたり、何か別のことを考えたりしたら、そこで数えるのをやめなくてはなりません。そしてもう一度、「1」からやり直します。

この瞑想法の目的は、集中力を維持し、数えている数字に確実に集中し続けられるようになることです。

集中力を途切れさせることなく、一気に100まで数えられるようになるまで、練習を続けてください。

この瞑想法を身に付けるまで、練習あるのみです。


この方法を習得し、自分の集中力をコントロールできるようになったら、次は物体を視覚化する瞑想法です。

ヴィジュアライゼーション――この瞑想法は、物体の視覚化を助けます。

まず、その他の瞑想法と同じように瞑想を始めます。


最初は、花や車、コップなど、自分が知っている一般的な物をヴィジュアライゼーションしてください。


この瞑想法を初めて試す時には、単純な物体を思い浮かべた方が、集中力を維持しやすくなります。


ヴィジュアライゼーションとは、文字どおり、心の中に物体を描くことです。輪郭から始めて、その物体をできる限り美しく思い浮かべます。

物の形、色をヴィジュアライゼーションし、何かが描いてあれば、その絵や塗られている色も視覚化します。

滑らかであるか、ざらざらしているかなどの手触りもヴィジュアライゼーションしましょう。

文字が書かれていたら、立体的に、全方向から物体を眺めてください。

視覚化しながら、その物体があなたの心の中で何か特有のにおいを持っているかどうか、考えます。

そのにおいを、しっかりとヴィジュアライゼーションしましょう。


この瞑想法を行っている間に集中力が途切れたり、視覚化しようとしていたのとは別の物が頭に浮かんだりしたら、すぐに瞑想をやめてください。

そしてもう一度、始めから、物体を思い描き直します。気をそらすことなく、物体を視覚化できるようになるまで、毎日10分間、この練習を続けてください。


さらに、1日に20分間、続けられるようになるまで、この瞑想法を実践しましょう。


数息観とヴィジュアライゼーションは、精神の集中を促します。
この瞑想法を実践すればするほど、あなたの集中力は高まり、より簡単に、瞑想に集中できるようになります。

私たちは、皆さんが瞑想を行うのを助けるため、ヒーリング・ミュージックを提供しています。


ぜんそくに苦しんでいる方は、ビューテイコ呼吸法の訓練プログラムについて調べてみてください。

大成功を収める方法を学ぶために、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」を読みたいという方は、ホームページへどうぞ。

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