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形而上学を学ぶ人は、まず、形而上学を学ぼうと思った動機を深く考え、分析してください。


どうして形而上学や関連する分野を学ぶのでしょうか?なぜ、魔法や神秘体験、秘教やサイコメトリー、ダウジング、テレパシーなどの様々な能力について知りたいのでしょうか。理由は何でしょう?動機は何でしょうか。他者より優位に立ち、影響力を及ぼしたいからでしょうか?それとも単に名声を得たいからでしょうか。あるいは、名声によって得られる財産が目当てでしょうか?


そのような理由で形而上学を学ぼうとしても、霊的な成長の妨げになります。教えを請う価値のある指導者は、そのような下心を見逃しません。純粋で高潔な動機とは、神と人類に仕えるということです。この物質的な世界に精神的な意味を与え、地上の楽園を出現させることです。そうなれば人類は、真理、正義、公正、愛、平和、そして善意に包まれるでしょう。


皆さんの動機が私利私欲に基づくものなら、今すぐ心構えを変えるよう勧めます。動機について、自分をごまかしてはいけません。




他にも私たちがしてはいけないことがあります。天国の秘密を盗むこと、あるいは無理やり天国に入り込もうとすることです。


つまり、いかがわしい修行に没頭して無理に神秘的な成長を図ってはならないというこです。


高潔さもなく、教えを伝える権限もないところで修練を重ねるのはやめてください。怪しげな修行を実践し、すぐに成長を望むのはやめましょう。もし神秘的な能力を“即効で”得られても、それは永久的な力ではありません。


むしろ、ほとんどの場合は、やがて悪影響を及ぼします。温室栽培の植物より、自然の空の下で栽培された植物のほうが丈夫だというのは、周知の事実です。


霊的な成長も、同じことなのです。天は、神を汚す者には、自らの秘密を明かしません。もし仮に秘密を得ても、正しい動機や高潔さを持たずに秘密を利用すれば、私たちは知らぬ間に自らを呪うことになります。


聖書には、「神は、人から侮られることはありません」と書かれています。これは、因果応報の法則を示す象徴的な言葉です。因果応報の法則は、常に発動しており、誰も法則の影響から逃れることはできないのです。




形而上学を学ぶ人は、うわべだけの指導者がいるということに注意しましょう。指導者の教えに従うかどうか、慎重に検討すべきです。うわべだけの指導者は、皆さんに甘い言葉をかけるでしょう。でも甘い言葉は、後で、皆さんの心をむしばみます。このような指導者は、責任感など、まるでありません。偽の指導者は、よからぬ目的を持って自分の支持者の心を操り、コントロールします。支持者が異常なほど指導者に依存するよう、仕向けるのです。




うわべだけの“指導者”に従って修行を積むと、精神面の発達は制限され、霊的な成長も止まってしまいます。たとえ精神面を鍛えようとしても、失敗に終わるのです。ですから、清浄道論を通じて、正しく適切に準備をしておきましょう。


より高尚な神秘学・神秘主義を身に付けるには、精神が成熟している必要があります。そして精神を十分に発達させるには、小宇宙の浄化が不可欠です。




神秘学や形而上学の指導者は、不純な動機を持つ学習者には、用心深く慎重に接します。導師が弟子入りの志願者を断ったり、志願者に何らかのテストを課したりするのは、よくあることです。


また、何か助言をしたり、しばらく経ってから、また来るように言ったりすることもあります。1週間後に来るよう伝えることもあるし、1年後に来るよう諭すこともあります。志願者が神秘学を学びたいと切望しても、本人の準備が整っているとは限りません。


志願したからといって指導者や達人に必ず受け入れられるわけではないのです。真の指導者に受け入れられ、秘伝を教えてもらうには、高潔な動機はもちろん、それ以上の意志が必要です。


しかし、偽りの指導者は、不純な動機を持った志願者でも、受け入れるかもしれません。名声、見栄、富といった個人的な目的のために、志願者を受け入れるのです。一方、真の指導者は、決して、そんなことを基準にして志願者の受け入れを決めません。


ただし、志願者を試すため、一見すると理不尽で非合理的な、奇妙な行動を取るかもしれません。神秘学の格言に以下のような言葉があります。


「学ぶ者の準備が整ったとき、師が現れる」。ここでの助言は、手をこまねいて、ただ座って待つのではなく、適切な方法で準備をしようということです。この格言のとおり、指導者が、スピリチュアルな存在、あるいは内なるガイドや守護天使へと、皆さんを導いてくれるかもしれません。あるいは、形而上学の修練の場を与えてくれるかもしれません。




形而上学を学ぶ道のりは険しいものです。常に絶え間なく努力が必要です。空いた時間で形而上学を学ぶことなど、ありえません。形而上学を学ぼうと思うなら、研究し、実践するための時間を作ってください。


不必要な付き合いに時間を費やすのはやめましょう。テレビや映画を見るのも、最低限にとどめてください。できれば、そうしたことには全く時間を割かないのがベストです。


皆さんが形而上学を学ぶために、新たなライフスタイルを確立すると、友人や親族との間には、衝突が起こるかもしれません。でも、こう考えてみてください。重要なことは何でしょうか?


友人たちの自分本位な要求を満たすことが大事でしょうか?それとも、永久に価値のある真理について学び、人類の営みに精神的な意味を見いだすことが大事でしょうか?決めるのは皆さんです。


でも、十分に修練をしなかったせいで成果が得られなかったなら、それは皆さん自身の責任です。ひとつアドバイスをしましょう。皆さんは、形而上学の研究を投げ出してしまうかもしれません。


しかし決して人生は投げ出さないでください。形而上学を教えてくれるのは、人生そのものかもしれないのです。人生そのものが、形而上学の真の指導者なのです。


人生で起こることを受け入れ、そこから教訓を学んでください。人生における出来事を受け入れられないなら、天賦の創造力を利用して、人生を変えてしまいましょう。


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