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形而上学、魔術、神秘学、神秘主義について真剣に勉強するなら、その前に、しっかりと準備をしましょう。あらゆる面、すなわち精神面、感情面、身体面、スピリチュアルな面で、準備を整えるべきです。宇宙の真理を受け入れるべく、心を整えておくことが、きわめて重要です。


つまり、純潔を重んじ、正しい態度、正しい動機を保つということです。準備が不十分だと、簡単に思い違いをします。また、神秘学を学ぶ上で不可欠なすべてのものから、離れてしまいます。


つまらない妄想や、誤った教義に向かってしまうのです。また、幻想や幻惑、プライドやエゴに満ちた世界に夢中になってしまいます。しっかりと準備せずに神秘学に取り組んだ場合、長期にわたって自らを危険にさらすことになります。


十分に準備しないと、神秘的な力やスピリチュアルな教えを、誤った方法で乱用してしまうのです。


そうして神秘的な力を乱用すると、輪廻転生を繰り返すことになり、スピリチュアルな面で成長できません。


そもそも、教義を持たない宗教というのは、形而上学を学ぶ上で、いい土台になります。形而上学を学ぶ人は、霊媒などの媒介者の力を借りずに、自分で聖書や教典を理解し、自主的に宗教活動を行うよう勧められています。二分心を外部の影響から守り、“権威ある人”への依存を避けるためです。“権威ある人”を頼ると、将来的に、精神に悪影響が及ぶかもしれないのです。




スピリチュアルや形而上学の指導者から学ぶと、清廉さ、誠実さ、謙虚さ、同胞の役に立とうとする無私無欲な心構えが発達します。自分で神秘学の本を読んで勉強しても、こうした心構えが身に付きます。


これらの美徳は、私たちを守る盾となります。精神や感情を揺さぶるネガティブな影響から、私たちを守ってくれます。



形而上学を学ぶ準備をするには、思考や心の奥底から歪んだエゴを取り除くことが重要です。救世主のような視点で物事を考えましょう。


イエス・キリストや預言者モハメド、クリシュナ、 老子、仏陀のように、考えるのです。こうした神の化身や預言者たちは、常日頃、何を考えていたと思いますか?


彼らは神、真理、美、善について考えていました。ですから、形而上学を学ぶ人たちも、彼らのように考えるとよいでしょう。抽象的に考えたり、神やスピリチュアルについて考えたり、神聖な考えを持ったりすると、肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体の振動が高まります。そうすると、形而上学でもスピリチュアルな面でも、成長が望めます。これこそ、人類が求めていたことです。神の心を持つことで、人類愛が生まれるのです。




神秘学や形而上学を学ぶにあたっては、固定観念が障害になります。学習の前に、まず、形而上学や神秘学に対するこれまでの考えや信念を、一時的に捨ててください。神秘的な現象やその学問については、誤った信念がまかり通っています。


そうした迷信は、無知な人々や低レベルな霊能力者、宗教心を排除した教育によって、広まりました。また時には、宗教そのものが、神秘学についての誤解をもたらしたのです。ですから、私たちはそれらの誤った信念をすべて忘れる必要があります。


そして心を整え、真剣に考え、理性や直観を活用しましょう。たとえ、これまでに真の指導者から形而上学や関連の事柄について学んだことがあっても、新しい指導者につくときには、それらの知識をよそにしまっておく必要があります。




私たちは心を開き、高尚な世界の教えに、素直に耳を傾けるべきです。心を閉ざし、固定観念に縛られていたら、私たちは神秘学や形而上学の教えに秘められた真実を心に留めることができません。


形而上学には、宇宙の法則や、より高尚な世界、人間の心や超自然的な本質の原則について、学ぶべきことが多く隠されているのです。形而上学や指導者(筆者を含む)の教えが、個人的な考えや感情に相反し、受け入れ難いこともあるでしょう。


そういう時は、とりあえず教えをいったん忘れましょう。そして、もっと経験や知識を積んでから、再び教えについて考えてみてください。しかしながら、ほとんどの場合、意見や信念は、真理を映すものではありません。それは忘れないでください。


私は、自分が実際に体験して学んだことや、教わったことを皆さんに伝えます。私は自分の意見を押し付けたり、誰かに信念を曲げさせたりはしません。私は、教えを受け入れる人には、喜んで精神的指導者から学んだことを教えます。教えを望まない人がいても、それも結構です。馬を水飲み場まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできません。




確かに、神秘学を学び始めたばかりの人は、神秘学についての情報を、仮説や実用的な都合のいい理論だと考えるかもしれません。しかし、初心者も、やがて研究の方法を身に付け、形而上学的な真実の正しさや、高尚な世界の現実を理解するようになります。




私たちは知識や知恵、経験を求めています。ただ信仰を求めているわけではないのです。神の神秘について学ぶ者にとっては、信仰は役に立ちません。信仰という言葉は、無知な人たちによる、ずうずうしい表現です。知識があるのなら、どうして信仰が必要なのでしょうか?


例えば、ある人が「~の存在を信じている」と言ったとしましょう。その人は、その発言によって、それが本当に存在するかどうかは分からないことを暗に示しています。信仰と知識は、まったく別物です。




スピリチュアルに神秘的な修行を積むには、霊界から発生する強いエネルギーや力、勢いを呼び起こす必要があります。これらのエネルギーは全小宇宙の中に、物理的なレベルにまで流れ込みます。


不純物や毒素、ネガティブな力があると、肉体とバリアは非常に低いレベルで振動します。そこへ高度なエネルギーが流入すると、肉体とエーテル体の神経系やエネルギーシステムは爆発し、破裂してしまうかもしれません。ですから、神秘学について学ぶ前に、清浄道論を読むのです。



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