

“私は一体、誰?”の世界に潜む悪意
私は何年もの間、自分自身が何者であるかについて確信を持っていました。
自分がどんな人間かよく分かっており、ありのままの自分に満足していました。
ただ、以前の方が、自分自身を受け入れやすかったのは事実です。
このところ、自分に対する確信を揺るがすような出来事が、いくつかありました。
他の人はどうか分かりませんが、私は自分自身の性格に誇りを持ってきました。
2か月ほど前、クレジットカード会社から連絡があり、
その会社がハッカーの攻撃に遭ったと知らされました。
およそ100万人もの個人情報が盗まれ、私も被害者だというのです。
でも、カード会社は、私の口座は大丈夫だと言ってくれました。
その時、私が心配したのは、お金ではなく、私個人についての情報でした。
どうやったら他人の個人情報を盗めるのでしょう?
もっと重要な点は、なぜ他人の個人情報を盗もうと思う人がいるのかということです。
とくに、私のような人間の情報を!そうして考えていると、
もし私が自分の個人情報を貸し出したら、どのくらいのお金を取れるだろうと考えました。
自宅にいながら、ちょっとした商売ができるかもしれません。
いや、そうでもなさそうですね。
私が普通の人よりお金を多く持っているハンサムな大富豪なら、
個人情報の借り手がいるでしょうけど。
私はずっとお金をもうけたいと思ってきましたが、実現していません。
ここ数年は本当に苦しくて、他の貧しい人たちから、なけなしのお金を借りたほどです。
もし再会できたら、その人たちにお金を返すつもりです。
誰か私の口座からお金を引き出せたら、その人はかなりラッキーです。
私自身でさえ、必要な時にも、お金を下ろせないのですから。
ぜひ個人情報を盗んだ犯人に会って、どうやって私の口座からお金を引き出そうとしたのか、
聞いてみたいものです。
お金を払ってでも、その答えを聞き出したいくらいです。
その銀行のATMは“現金自動盗み出し機”ということになりますよね。
ただ、考えてもカードが再び使えるようになるわけではないし、
その間に仕事のチャンスを逃しそうです。
個人情報について、もうひとつ不安をあおる出来事がありました。
数日前、牧師館の上品な奥様と小生が、窮地に陥っていました。
はっきりと申し上げれば、窮地に陥っていたのは、驚くことなかれ、私自身でした。
なぜそういう状況になったのか思い出せないのですが、
私の妻は両手を腰に当ててにらみながら、
「一体、あなたは自分自身を誰だと思っているの?」と私を詰問したのです。
その時は、その哲学者のような問いにどう答えるべきか分かりませんでした。
つまり、妻は35年も前から私を知っているのに、
その時点で私を誰だか分からないということが、私にはよく理解できなかったのです。
同時に、私も、妻が彼女自身を誰だと思っているのか、分からなくなってしまいました。
でも、私は男らしく、迷いは自分の胸にしまっておきました。
しかし、自分の混乱はいっそう深まりました。今週、私はいつもどおり仕事に出かけました。
仕事と言っても、1日働いても数時間分ほどの給料しか稼げず、
何の手当ももらえない仕事ですが。なんにせよ、仕事に向かっていたところ、
長い付き合いの友人に出くわしました。
軽くあいさつを交わした後で、彼は私に尋ねました。
「何かあったのか?何だか今日は君らしくないよ」。私は悩んでしまいました。
私が私らしく見えないなら、私は一体、誰のように見えているのでしょうか?
私はちょっとほほ笑んで、
少し前に個人情報を盗まれたというようなことを口ごもりながら話しました。
正直に言うと、様子が変だと友人が気付いたことに驚いていたのです。
ところで、ちょっと考えたのですが、個人情報を無くしたら、
その失われた個人情報はどこに行くのでしょうか?
どこかに個人情報の遺失物取扱所でもあるのでしょうか?
すると、恐ろしい考えが頭に浮かびました。
個人情報を無くした人がその遺失物取扱所に行き、
間違えて別の人の個人情報を持ち帰ってしまったら、どうなるのでしょう?
私の個人情報は大丈夫だと言えるでしょうか?
何をもって、私は自分自身を証明できるのでしょう?
今、私の目の前には、かなりはっきりとした証拠が挙がっています。
「アメリカの大企業が、私の個人情報が盗まれたと知らせてきた。
妻は、私が自分自身を誰だと思うのか問い詰めてきた。
そして古くからの友人が、私が私らしくないと言った」ここで改めて、
事実を確認してみましょう。私は時々、ちょっとぼんやりしてしまうことがあります。
それは認めます。でも、そういう時も、決して、上の空というわけではありません。
時折、気が抜けていたとしても、放心状態というわけではないのです。
今回の個人情報の盗難事件で、私は自分自身について改めて考えさせられました。
私は一体、誰なのか?いくつかの言葉を書き出してみました。
「息子、兄弟、おじ、夫、父、祖父」。
もちろん、おじいさんになる年齢ではありませんが、おじいさんになれるのなら、
嬉しいことです。
結局のところ、“おばあさん”と暮らしているわけですから、
流れに沿って生きる方が楽ですね。
お分かりいただけるでしょうか?
すると突然、驚くべき考えが頭に浮かびました。
混乱の中でなぜそれを思い付いたのかは分かりません。
私も神の子なのだ、と気付いたのです。聖書のすばらしい一節に基づいた考えです。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった」(ヨハネの福音書1:12 欽定訳)。私は多くのことに確信が持てずにいます。でも、神と自分の関係には迷いはありません。
ジェームズ L. スナイダー ― 受賞歴もある作家で、人気のコラムニスト。妻のマーサと米国フロリダ州オカラに暮らす。連絡先は jamessnyder2@att.net.

