自分が神様からいただくことを感謝しつつ、御霊をくもらせないよう…と意識していました。

神からいただくということは自分が慢心したらば、

あっという間に悪いものに感応することもあり…なので。

自分の腹の底にあるものを、キラキラしたものをイメージしていました。

六角水晶のようなもの、上からみると、ダイヤモンドのようにクリスタルな輝きが時折、

六茫星のように反射します。

奇麗だな…いつもこういうように感じていよう、感じられるようにしなきゃ…と意識していると、

次々にイメージがおりました。

昨日あれ以降みたものや、書ききれずにいたことをお伝えします。

神様からいただいたことばは「くどうもうさば ハレこなじ」で、なんどもなんども反復していました。

それで私もしっかり魂に刻めたのだと思います。

そのときに、みたまみかがずば…という意識もあがったので、混在して書いてしまったようです。

あと▽がみえ、中に液体がみえます。

『杯』のようです。その中の液体が波打っています。

こぼれそうだけどギリギリこぼれずに中でチャプンチャプン水滴を放ちながら右に左に大きくゆれている。

それがおさまって、杯のギリギリ一杯まで満たされた状態になり、かすかな振動がくると

中心から奇麗な輪が大小順に広がっていきます。それが繰り返しています。

「杯の中の液体をむやみに波だたせるな、こうして静かに満杯せよ」というイメージがおりてます。

そんな様子をみせられました。
●●さんが(私)見えます。

日本地図から少し離れたところ、関東沖太平洋から日本列島全体をみている感じ。

『北と南に注意せよ』

『まずは南、南から』

と言われています。


私の左手の手首先が切り落ちています。

切れた手がスッと生えてきました。切り落ちる前となんら変わらず元のままの動く手です。

ズボッと一瞬にして生えた手をみながらあまりの出来事に驚きつつ茫然としています。

今の何?みたいな感じで。どうしてこんなことができるの?と。まさに神業じゃないの?!!って。

すると、

『不可能と思う事も現実的なイメージを強く持て』

と言われました。

腹にストンときました。

そうか、と。実際、落ちた手がにょっきり生えるなんてこと人間考えでは思いもしませんし、

生えろ~なんて起きた出来事に思わずオロオロしてしまうことでしょう…

それにとらわれるのが、とらわれているのが人間なのだと。

神様は、そうではないと…

人間側で、無理だと思うことですら、心から念ずればそれは現実として現れることもある、と。

そのために強く強くイメージをせよ。と。

有無も言わさず、私が念じる、強くイメージするということ無しで、こうなるよ…という

実体験をいきなりさせてくださったのでした。

すごい、と思いました。人間の念ってすごいって。もっとすごいもんなんだって、思いました。

みせてやったが、こうなる力を出すために、お前が己で強く強く念じろ、イメージしろ、と

言われたような気がしました。

今後、どうなるかわからない世のゆくすえも、その可能性を強く

イメージして生きていかないといけないのかも…と。

というように私は手をみながら感じています。

うーーーーーん。今のところ、これくらいが記憶につよくのこっているもののすべてで。
とりあえず洗いざらいだして、訂正もできたと思います。


蛇足ですが…私がこのように見させていただけるようになったのは、

すべてひふみのお力だと思います。自分の心がかわってきている、変わったのを実感しているからです。

去年の暮れから今年になって今日まで、段階的にいろんなことから抜け出すことができ、

感覚がまったく違っています。

まず、一つは神様への祈願ということ。

ある日、お日様をあびながらストンときたことがありました。

人間というものは神様にお願いすることはほんとうの意味ではとても少ないのではないかと…

お金がほしい、給料が50万ほしい、100万ほしい、いい会社に勤めたい、

いい大学にはいりたい、美人になりたい…

このようなことはすべて自分で努力すれば、本当にかなえたいなら、

かなえるための努力すればいいだけじゃないの…って。

東大どうしてもいきたければ、何年かけても勉強すれば、いける日まで勉強すればいける。

100万ほしければ、100万手に入るまで朝も夜も寝ないで、働けば稼げる。

美人になりたければ、ダイエットしたり、お化粧研究したりすればそこそこ奇麗になる。

それ以上のとてつもない希望(10億ほしいとか、勉強しないで東大に受かりたいとか)を

手にしようとしたら、それはもう限られた運命の持ち主か、犯罪に手をそめるか…なのだから、

個人の希望という範疇を超えている。

とすると、個人のことで、個人の努力次第でかなうことで神様にお願いすることなんて、本来ないのでは…

この意識がドーッとはいってきて、瞬時に、『ああ、この世で人間が神様に参拝してお願いする

内容が間違っている』とわかりました。

神様に対して、●●さんが『ご開運祈願いたします』とおっしゃること、よくわかったのです。

神様が重くて苦しくなられているのもよくわかったのです。

その意識にいたったとき、私は、「ああ、神様にお願いすることなんて私のことでは

私は何もない…私はただ努力をすればいいのだから…私が神に祈ることはもっと別にある…」と思いました。

そういう意識を持ちながら生き出して、しばらくして、このごろ、

人間の生死について考えさせられる夢見をみさせていただきました。

それまで、飢えながら生きることも、無残に死ぬこともどちらもなんとなく恐れていて、

やっぱり嫌だなあ…とか怖いなあ…とかいう気持ちがあったのだと思います。

修行時代は 必要最小限のお食事で農業をしていましたが、あるけなくて坂があがらないくらい

パワーが落ちてしまい、毎日、飢餓に苦しみ、食べ物の妄想に苦しみ、つらかった…

でも、食事の量は少ないとはいえ世紀末には考えられないほどの量はありましたし、

栄養も足りていたと思います。

心が貧しいと、餓鬼に落ちていると、パワーとしていただけず、

身体も心も使い物にならないものだと身をもって体験したわけで…

あれよりひどい生活に意識を高くもって生きることなんてできるのだろうか…と不安があったり。

でも、これも夢見をみたとたん、ストンときました。

生きるも死ぬも腹にすえたものをしっかり守れば、

どんな生きざまで、どんな死にざまで生きとおしたいか自分で確固たるものを確立できれば…

何もおそれることはない。

生きとおす日々の中で病、苦労がおきようとも、戦争がおきようとも、天災がこようとも、

いいのだと…生きる運命なら生きるし、死ぬる運命なら死ぬ。

それが己の御霊の運命であれば、いさぎよく受けるだけなのだと…

潔く受けるためには、生死に対する胆力がいる…それがこれなのだと…

私は、前をむいたまま、逃げず、必要あれば戦い、そして堂々とあっぱれである、

という形で死にたい。

そのため死にざまを迎えらるような生きざまをつんでいく。

無様な生き方をしている人間が立派な死にかたなど実践できるはずもなかろうから…

死ぬために生きる…なんか変な表現ですね…(笑)でも死は終わりでない、

とわかっているからできるのかな…と思います。

その生きざまは日々、刻々と何をなして生きていくのか、神様が示してくださっている。

だから、私はバリバリ生きていける。仕事も、ドンドンこなす。

今年になったとたん、仕事をもっているのに次の仕事がむこうからやってくる♪

意識がかわって己の次元をかえれば、環境も変わるのだ…と実感しました。

すいません。蛇足長いです。

でも、きっと私の意識と夢見の見方も直結すると思うので、こういう変化が

ひふみとつながったとたんあった、ということ、

●●さんとつながってからあった、ということ知ってほしくて書きました。

こういう感覚になると、他の人を不思議に思うのですが、きっとそれはかつての私。

みんなが自分でかわっていかなきゃいけないことなんですね…

そういえば、今ので一つ、さっき、書き忘れたイメージを思い出しました。
イメージの一番はじめのほうででてきたのですが。

暗い道。
私はそこを歩いてきた。
そして、その暗い道が区切られたところがある。ズバッと切り取られている空間が。
私はそこに座って体育座りしてひざをかかえていた。
右側をみると、歩いてきた道が暗いのがよくわかる…さびしいな…と思った。
これから歩く左側はこわくて見る気にならない…

すると、上から、サーーーッと太陽の陽光が差し込んでくるようにまばゆい白い光が私にあたり、包み込んでくれた。
その光の中、私はとてもうれしくてありがたい思いでいるのでした。

そんなことからはじまった一連のイメージと夢見だったこと、ここまで書いてふと思い出せました。


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この日はに直接関係していることの私の状態での夢見でした。

言葉が居り始めたので

載せてみました。

あと メッセージを受け取っている パートナーの心情のすがすがしさを

知ってほしくて 公表しました。

杯のことは 私の状態を表しています。

今の 私を波立たせない工夫をしてほしいと 言うことなのですが

その後 波立つことがあり 

倒れてしまいました。

とにかく ギリギリの中で 生きている私

其の私の 満たされている水が 波立つと こぼれてしまうよ

本末転倒だよと伝えてくれている 映像なのだと 思います。



そして 「北 南」に関しては

神示に書いてあります。

「北から攻めて来る」・・と

この日は 違う方からも 夢見のメッセージ有り

私が 凍った湖?もしくは海(北)だとわかるところで

北を見つめている・・(北方警備している感じ)守っている感じだったとのこと

北と南が 気になるので 気をつけよということだったのだと 思います。



手の切り落とされる夢は

信じきることの大切さを あらわしていると思うのです。

疑いもなく信じれば 現実になるのです。

そこは  人間考えをなくす努力が 必要なのかもしれません。




夢見は2パターンあります。

私の仕事に(かみごと)関すること

直接神の方向からです。


この日は  仕事に関してが主でした。

でも その後の神事に 関連してゆきました。