
今日は 突如 奈良へ・・
用事を済ませ せっかく来たから 石上神宮へ行こうかな・・といいながら
奈良に来ると 東大寺に行きたくなった。
東大寺には二年前に何度も伺う事になる出来事があった。
カンボジアで井戸を掘り 子供たちを救う和尚に出会わせてくれたのは
北海道時代 タノラボMIXという SAX奏者の
田野城先生の指導の下でバンドを一緒にやっていたときの仲間 I氏だった。
なんとなくつながりをもちつつ仲良くしていた I氏から
久しぶりにチャットが来たのです。 今ベトナムかららしい・・。
いつの間にか子供が生まれたらしく
嬉しそうに写真を送ってくれた。。子供を占って欲しいとのこと。
了解した^^
I氏は 「あなたとは縁があるんだね 時間も場所も関係ないね
自分は今(ベトナムで)言葉がまったく通じないところにいますが
とてもいい人たちに恵まれています。一度遊びに来てください」と・・
I氏のぶっきらぼうな中の優しさが 思い出された・・。
カンボジアの和尚のところへは
東大寺の敷地内にある住宅に何度かお邪魔をした。
あの広い東大寺の中 車を走らせるのはなんとも
気が引けたが 東大寺の中を行かねば家にたどり着かないのだから
仕方が無い・・。
今はあの家はもうつぶされてしまったらしいが・・。
カンボジアの孤児院 「だるま園」を運営するのに
無理をされていたのだが
ガンで余命いくばくも無いといわれていた和尚が
子供たちの元に帰ると カンボジアに戻ってから
命を得たのか
元気になりつつあるようだ・・。良かった。
私はその運営のお手伝いを 少しの間だがさせていただいていた。
カンボジアにはいろんなものを送って差し上げたくても政権がまだ安定しなくて
荷物を送っても搾取されて なかなか「だるま園」には届かないらしいのだ。
I氏は 大きなリュックを背負って カンボジアの子供たちに
物資を届けていたのだ。
自分の知り合いたちに掛け合ってたくさんの物資を集めていたのが
和尚の住宅に山のように積まれていたのを思い出す・・。
久しぶりの東大寺は お参りの人でごった返していたが
なぜか 気持ちのよさを感じる事ができた。
聖武天皇が心のうつろいを嘆き
あのような大きな伽藍を建立したのだが
建立にはたくさんの犠牲もあった。
その中で いつも言う事だが 飛騨の民たちは 土地的に米が取れないので
年貢が納められない・・その地区の人は「人貢」で
米の代わりに人間が働く事で償っていたらしい。
そうやってものつくりをしている民たちは飛騨の匠と呼ばれていく
背景もあるのだが
あれだけのものを人間が作ると成るとどれだけの苦労と力が
必要だったのかと 心を痛めてしまう。
たかが偶像崇拝のために 多くの犠牲を伴う工事が
果たして必要だったのか・・
つい そういう見方をしてしまう。
でも今 素晴らしい建造物があるのだから
ありがたい話ではあるのだが・・。
それらのことを踏まえて 祈った
たくさんの底辺で地を張って頑張ってくださった皆さんに
私たちの祖先に祈りを捧げた。
私たちはどこの誰かが先祖に欠けても
生まれてこなかった存在。
ありがたいことだ・・。
先祖のもとは イザナギイザナミの神様たち 先祖神たち
みんな行き着く・・
みんな同胞 元は同じ民
今あること 今生きていることを 大事にしなくては・・
使命を全うし 一つの道に向かって生きる
頑張らねば・・。
帰り道 急に雨が降ったと思ったら
案の定 こんな虹に出会えた
東大寺大仏殿と 若草山の上に
大きなアーチ ありがとう ご苦労様をしてくださった。
神様 本当に見てくださってるな・・
ありがとうございました。
思い出させてくださった I 氏に感謝
近いうちに東京で会うことになっている
話に花が咲くだろう・・・。
海外にも大きなアーチをかけられるようになりたいと思ってしまう。
できたら カンボジアに行きたい
ポルポト政権で親を殺されてしまった子供たち
その子らにいい笑顔を もたらせてあげることを
少しでもしてゆきたいな・・。