催眠を教えに 大津に出向いていた。
あと 数回 大津に 行く予定だ。
先日 大分のかたに お土産を送ろうと思っていたら
TVで 堅田というところの落雁のお店を紹介されていたので
なんだか 魅かれて 出かけることにした。
土地勘のない私
車でナビを設定して出かけたら あら ・・遠いのね。
でも まあ いつものごとく 人間考えで思わないようにしようと
きめて 出かけた
なんだか 気になる風景
なんだか気になる ざわつきの思い。
じつは 夏前 京都で催眠の講義をしていたときに
被験者になって 催眠を掛けてもらっていたのだが
出てきた場所が 湖なのか 静かな海なのか水辺が見え
その前に たたずむ私が居たのだ。
かなしくて かなしくて 帰りたい 帰りたいと 泣いていた。
どこに帰りたいのかも 解らないが
切ない思いで 向こう岸に見える 山々を見ていた。
岸辺は石で護岸された船をよせる浜
たくさんの船が あった。
そのそばに 突き出たように 出ている 神社のような
木で覆われた 建物が見える
急に その水に向かって 走り出しそうな自分がいた。
でも とどまった。
場面が変わり
自分は どこかの 家の嫁になってる感じだったので
その 入水しようとした女性の理由は 見ることはなかった・・。
あとで あっと思ったのだが
あの地区は 匂当内侍(こうとうのないし) という
後醍醐天皇の側室とも言われている 才色兼備な女性で
褒美に後醍醐天皇より 新田義貞が妻に貰い受けた女性であった。
新田が最後の金ヶ崎の戦に出かける前に
彼女を その地区の豪族に預けて
戦に出て行ったとされる。
知らなかった・・。
野上神社といって 彼女を祀る神社があるのを知ってはいたが
まさか この場所とは・・。
この地区は 琵琶湖の要所で
昔から 水路を確保している 豪族たちがあり
武士たちと手を組み 戦の時には
手を貸してもらうということを していた場所だったようだ。
それで 新田は 内侍を 預けて行ったようだった・・。
実は 私は 以前の催眠で
あまりにも 後醍醐天皇が好きなので(笑
おかしいと 思い 催眠で見てもらった
そのときに 前世として
内侍がでてきていたのだ。
えーーーっ そんな才色兼備だとか ありえないしー
と 自分では 認めてなかったのだが
催眠療法をしている人間として 意味のないことは出ないと知っているので
常々 心に留めていることのひとつだったのだ。
でも 納得することがひとつある
前に記事にした 大津皇子の藤原郎女
今回の 匂当内侍も 藤原の娘だ・・。
私の前世と決めなくても 私の血の中にある・・。
今回も 行かねばならないのだろう。
月曜日 京都に催眠の講義に行く
朝から 大津に行き 先ずは 匂当内侍さんのお墓である
神社に行ってこようと思う。
来てほしいから
わざわざ お菓子を気にさせ 買いに行かせたのだろう。
行くところが たくさんある
先日の 大津皇子の御陵のある 二上山
藤原の郎女のいた 当麻寺
そして 匂当内侍さんの 墓である 野上神社
いま ことごとく 藤原の女性たちの 苦しみ悲しみを
解放する手助けをしている。
私の祈りで どれだけのもか解らないけど
力を尽くして 祈っていこうと 思う。
それが 先人たちへの 感謝に繋がる
先祖がいて 始めて私たちに繋がる
いい事も悪いことも 繋がっている
ならば いい事のほうへ 繋げてゆきたい
それが 子孫の役目
いままで先祖供養という形はしていなかった
先祖には ありがとうの思いを届ければそれでいいと思って居るから。
形骸化されたものは せずに ご先祖に開運を祈ってきたし
私の皆様へお伝えする供養方法も ご先祖の開運をいのる方法
時代背景もあるだろうから 今は仏教がとかどこがいいとか どうこう思ってはいない。
それよりも いまは 単に血の元 先祖への感謝で今はいっぱいになっている
そういう意味で 朝に夕に先祖に祈ろうと思う。
誰だって 元の元にたどれば 祖先の一組に繋がるのだろうから・・。
自分の前世を みて 自分を省みる事は大事だと思う。
自分が なにものか 知る 知ってそこから学ぶものを
大切にする それが大事だと思う。
そういうことを これから 書いていこうと 思っている。
久々に 遠慮せずに 書こうと思った。
枷などいらない
自分仕様で 生きていこう
そう思う。
あと 数回 大津に 行く予定だ。
先日 大分のかたに お土産を送ろうと思っていたら
TVで 堅田というところの落雁のお店を紹介されていたので
なんだか 魅かれて 出かけることにした。
土地勘のない私
車でナビを設定して出かけたら あら ・・遠いのね。
でも まあ いつものごとく 人間考えで思わないようにしようと
きめて 出かけた
なんだか 気になる風景
なんだか気になる ざわつきの思い。
じつは 夏前 京都で催眠の講義をしていたときに
被験者になって 催眠を掛けてもらっていたのだが
出てきた場所が 湖なのか 静かな海なのか水辺が見え
その前に たたずむ私が居たのだ。
かなしくて かなしくて 帰りたい 帰りたいと 泣いていた。
どこに帰りたいのかも 解らないが
切ない思いで 向こう岸に見える 山々を見ていた。
岸辺は石で護岸された船をよせる浜
たくさんの船が あった。
そのそばに 突き出たように 出ている 神社のような
木で覆われた 建物が見える
急に その水に向かって 走り出しそうな自分がいた。
でも とどまった。
場面が変わり
自分は どこかの 家の嫁になってる感じだったので
その 入水しようとした女性の理由は 見ることはなかった・・。
あとで あっと思ったのだが
あの地区は 匂当内侍(こうとうのないし) という
後醍醐天皇の側室とも言われている 才色兼備な女性で
褒美に後醍醐天皇より 新田義貞が妻に貰い受けた女性であった。
新田が最後の金ヶ崎の戦に出かける前に
彼女を その地区の豪族に預けて
戦に出て行ったとされる。
知らなかった・・。
野上神社といって 彼女を祀る神社があるのを知ってはいたが
まさか この場所とは・・。
この地区は 琵琶湖の要所で
昔から 水路を確保している 豪族たちがあり
武士たちと手を組み 戦の時には
手を貸してもらうということを していた場所だったようだ。
それで 新田は 内侍を 預けて行ったようだった・・。
実は 私は 以前の催眠で
あまりにも 後醍醐天皇が好きなので(笑
おかしいと 思い 催眠で見てもらった
そのときに 前世として
内侍がでてきていたのだ。
えーーーっ そんな才色兼備だとか ありえないしー
と 自分では 認めてなかったのだが
催眠療法をしている人間として 意味のないことは出ないと知っているので
常々 心に留めていることのひとつだったのだ。
でも 納得することがひとつある
前に記事にした 大津皇子の藤原郎女
今回の 匂当内侍も 藤原の娘だ・・。
私の前世と決めなくても 私の血の中にある・・。
今回も 行かねばならないのだろう。
月曜日 京都に催眠の講義に行く
朝から 大津に行き 先ずは 匂当内侍さんのお墓である
神社に行ってこようと思う。
来てほしいから
わざわざ お菓子を気にさせ 買いに行かせたのだろう。
行くところが たくさんある
先日の 大津皇子の御陵のある 二上山
藤原の郎女のいた 当麻寺
そして 匂当内侍さんの 墓である 野上神社
いま ことごとく 藤原の女性たちの 苦しみ悲しみを
解放する手助けをしている。
私の祈りで どれだけのもか解らないけど
力を尽くして 祈っていこうと 思う。
それが 先人たちへの 感謝に繋がる
先祖がいて 始めて私たちに繋がる
いい事も悪いことも 繋がっている
ならば いい事のほうへ 繋げてゆきたい
それが 子孫の役目
いままで先祖供養という形はしていなかった
先祖には ありがとうの思いを届ければそれでいいと思って居るから。
形骸化されたものは せずに ご先祖に開運を祈ってきたし
私の皆様へお伝えする供養方法も ご先祖の開運をいのる方法
時代背景もあるだろうから 今は仏教がとかどこがいいとか どうこう思ってはいない。
それよりも いまは 単に血の元 先祖への感謝で今はいっぱいになっている
そういう意味で 朝に夕に先祖に祈ろうと思う。
誰だって 元の元にたどれば 祖先の一組に繋がるのだろうから・・。
自分の前世を みて 自分を省みる事は大事だと思う。
自分が なにものか 知る 知ってそこから学ぶものを
大切にする それが大事だと思う。
そういうことを これから 書いていこうと 思っている。
久々に 遠慮せずに 書こうと思った。
枷などいらない
自分仕様で 生きていこう
そう思う。