私の習いました茶道は

大和遠州流 といいます。

遠州流には二つ ありまして

ひとつは 小堀宗家のもの

もうひとつは 私が習いました 大和遠州流という二派 あります

大和遠州流は、小堀遠州が大和(現在の奈良県)で大成した遠州流茶道のことでありまして

小堀遠州(政一)の三男小堀政伊に始まる小堀権十郎家(旗本1000石)が 

継いだものです。

それが 栃木県佐野市に家元が行かれて発展させ(むかしは殿様の茶道指南役として

お城のあるところに 行くのですね。。たまたま 佐野だったようです。

遠州流は徳川の茶道指南役でした)


維新後に北海道に士族入植で渡られ 

北海道でたくさんの弟子を作りまして 広がったものです。

ですから 本州ではあまり聞かないかもしれません。

大和遠州流という あまり知られていない 華道もありまして

元は一緒のようですね。

これも奈良の方にしか残っていないと聞きますが

今はどうなのでしょうか

私も 奈良で大成した茶道・・ときいた時には

今の符号もあり なんとも感慨深いものがありました。


武家茶道ですので 表千家や裏千家とは違った趣がありますね。

小堀遠州は現在の茶道の元を作ったとの事ですので

庭にしても 道具にしても 一本筋が通ってると思います。


さて 遠州流には 遠州公書き捨て文というのが

茶訓として残っておりまして

私は大好きです 茶会では 必ず お家元がこの言葉を 読み上げてくださり

私たちは三つ指ついて 頭をたれ 聞き入ったものでした。

載せてみました 味わってみてください^^



小堀遠州 書捨の文

夫れ茶の湯の道とても外にはなく 君父に忠孝を尽し 

家々の業を懈怠せず 殊には朋友の交を失う事なかれ

春は霞、夏は青葉がくれの敦公(ほととぎす) 

秋はいとゞ淋しさまさる夕の空、冬は雪の曉 

いづれも茶の湯の風情ぞかし

道具とても、さして珍器によるべからず、名物とても異りたる事もなく

古き道具とてもその昔は新し 唯先達より伝りたる道具こそ名物ぞかし

旧きとても形いやしきは用いず

新しきとても形よろしきは捨つべからず

数多きをうらやまず、少きをいとはず

一品の道具なりとも幾度も もてはやしてこそ、子孫に伝ふる道もあるべし

一飯をすゝむるにも志を厚く 多味なりとも志うすき時は早瀬の鮎、

水底の鯉とても味もあるべからず

籬の露、山路の蔦かずら、明暮れてこぬ人を

松の葉風の釜のにえる音たゆる事なかれ


どう感じられたでしょうか?

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現代風に訳すと

茶の湯といっても たいしたことないですよ

師に(殿様だったり)親に 忠誠を尽くし

家の仕事をちゃんとこなし

友達とも仲良くし

春は霞の美しさ  夏は青葉に隠れたほととぎすのさわやかな声

秋は寂しさの増す夕やけの美しさ 冬は雪の暁

いずれも茶の湯の風情にぴったりである それらを感じましょう。

道具とても 珍しいものなどなく 名物と言われていても たいしたものではない

古い道具でもむかしは新しかったんだから だからなに?

先達たちが大事にして伝えてくれた道具の方が はるかにすばらしいよ 

古くてよいものだといわれても 形が変なら使わなくてもいいし

新しいからといっても 形がいいなあと思うものは とっておいて

道具の数がたくさんあるからと うらやまずに

ないからって 卑下することはない

一品の道具も大事にして もてはやして長く使ってあげると 子孫につながっていくよ

一飯を進めるのにも 心があれば 鮎も鯉も 味は変わらないものだ

遠くから来る人のために いつでも 茶を点ててもてないして差し上げたいから

釜のたぎる 松風の音を 絶えさせてはいけないよ

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そういう教えです

ようは 心が大事 ということですね

お茶はともすると 道具自慢になったりするのですが

遠州公は ここで そういうものは みっともないと

さらりと言ってる訳です。

心がこもってさえいれば いいんじゃないの?

道具なんか 古いからって いいものばかりでもないでしょう?

新しかったって いいものならいいじゃない 長く使えばそれこそ 

名物といわれるものになるじゃん

大事なのは いつ 人が尋ねてくるかもわからないのだし

武士の世界は いつ戦になるのか わからない

一期一会の世界なんだから

いつでも 湯を沸かし お茶をたてて差し上げるように

準備しておいたほうが いいよ


そういう 教えです。


そういえば こんな話を 家元から聞いたことがあります。

むかし 北海道に渡った家元が

維新後はお茶どころではなかったでしょうから 

ご苦労されたのだと思います。

戦争後 お茶をはじめる人たちが増えて 

茶会を催すことになったそうです。

でも 着物がない人もいます。 数もない時代です。

お家元は皆さんに 言ったそうです。

結婚式に着る 紋付 いわゆる 留袖というものですが

あれなら どこでも一家に一枚は あります。

なくても 近隣に聞けば誰かが持っています。

それを皆さんで着れば恥ずかしくないでしょう?と

貧富の差を 感じさせないように みな平等という精神で

そう取り決めされたとか・・ 茶会は皆留袖で行い

無事におわったそうです。

誰もがみんな 楽しいひと時だったに違いありません。

もし 誰かが 着物がなくて出られなかったとしたら

誰かが 自分の着物が恥ずかしいと 思って参加していたら

それは 楽しいひと時どころか

侘びさびとは 別の世界になってしまうことでしょう。

侘びさびを尊び 茶道を 習うのですから・・

いつその話を聞いたのか

まったく忘れてしまったのですが

中学生くらいだったような 気がします。

その話に 感動をしました。


私も 道を教えたい 今本当に そう 思います。

大和遠州流では 静月流という 煎茶道も一緒に教えていまして

煎茶道も師範なのですが

どちらも いい意味で 楽しめます。

煎茶がこんなにおいしいものだと 実感してもらえるでしょう。

なんだか 宣伝になった気がする(笑


そういうつもりはないですよーー

まずは 伝えたかったので^^