
昨日からのカピバラ マイブーム・・
何でだろうと 考えてみる
このところ 実家の母とのやり取りがあって
いろいろ 愚痴を聞き いろいろ 文句も言われていた。
ふーん そうなのーとか 普通にやり過ごしていたんだけど
私のハートの奥は 出来た傷がヒリヒリしている
古傷に引っかかり それが痛む
そのことに気付いた。
催眠療法士のわたしは この辺のことについては
いちおう理解している。
だから理論で納められているんだけど 古傷ってなかなか癒されないんだなって
わかったことは 今回の収穫だった。
私の母は 完ぺき主義で口が悪い。
否定的である。
大事に育ててもらったことは事実だけど・・そして
彼女のおかげで 自立する女になれたのはわかるけど・・
甘えるということが出来ない人になってしまった。
今はもちろん できるけどね・・痛い授業料を一杯払って経験したし・・(笑
わたしは癒しを 仕事としてる。
それは自分もインナーチャイルド持ちだったから
理解できるから できることなのかなって思う。
うちは昔ながらの家だった。
父は厳格で家の中心にしっかりといる人
母はその父を支え 家庭を守る人
家族のために 朝早くにおきて 隅々までお掃除
ご飯を作り、家族の準備を整える。
食事時はTVもだめ しゃべらすに静かに食事する。
いつも朝はステレオからクラシックが流れている。
どちらかというと堅苦しい家・・。
父のご機嫌を伺う感じで みんなが生活している。
私も 叱られないように 生活していた。
母は布団も作り 洋裁・和裁・編み物・お茶・お華・書道・・なんでもこなす人
わたしは、大人になったらそういうことが全部出来ないと
お嫁にいけないと思い込んでいたくらいだ。
そういう母が教えてくれるものは 確かに高度だった。
今思うと 出来なくて当たり前
なのに いつも「何故出来ないの?」「馬鹿ね」「早くしなさい」
若いころ 保母さんだった彼女は いつも命令 叱り口調・・。
編み物は二年生から教えてもらった。
三年生には自分で手袋もマフラーも作ってきた。
すそあげも四年生から してきた。
でも いつも母には届かなくて
いつも認めてもらえない気分。
褒めてもらえることが無かったからだ。
大事なときに受止めてもらえず 学校での悩みでも
「貴方が悪いからでしょう」と くくる。
母はクールでしょうけど わたしはすぐ胸に傷が出来る
それを理解してもらえなかった。
食事時には箸の上げ下ろしにも厳しく言われ続けた。
間違った箸の使い方には 容赦なく母の手が 飛んできた。
涙をこぼしながら ご飯を飲み込む・・
わたしは手が小さいから お箸をうまくもてなかったのに
母は原因を調べずに ただ叱った。
小4からチック症になった。
知り合いの叔母さんが 気付いて
母に進言してくれて 6年生にはそれを治せたけど・・。
その後 すぐに父が仕事場で亡くなり
次のステージが待っていたけど
愛というものを 取り違えて 受け取れない子になり
それらを うまく受けとる方法を 模索してきたのだ。
だから 今の私がいる。
仕込まれてきたことが大切だったから 母には文句は無いけど・・
頭では理解してるけど ・・
潜在意識の自分は 納得していないのだろう・・。
今は離れているからいいけど 時折 母の昔口調をきくと
蘇ってくるのだろうか・・。 苦しい。
カピバラさんを 抱きながら
ああ・・わたしは母に こうしてもらいたかったんだなと思う。
父が亡くなってからは特に 甘えることが出来なくて
いつも寂しい子供だった。
でも 友人に恵まれ それでまぎれていった・・。
そして いつもの口癖・。。大丈夫よ・・。
それは大丈夫よ って 言って欲しかったんだな・・と
人に 大丈夫よって 話している自分がいて
そう 思う。
運命って面白い
わたしが 学ぶために こういう生き方を与えてもらえ
学ばされたんだなって思う。
それは 今になりわかること。
人生はすべて勉強。 今をちゃんとやりつくしてくること
こうなるために 今まではあったのだ・・ということ
だから すべてに ありがとうなんだよね。
でも そうやって 心の傷を補うため
カピバラさんを 可愛がる自分を 見つめている
それは補償行為なんだよねって。
人はそれぞれ 補償行為をして 生きているのでしょう。
それで 人はがんばれるのだから・・。
今は カピバラさんと 仲良くして
そして 古傷の瘢痕が 消えていくのを
見つめていこうと思います。
さて
皆さんの中の トラウマ・・ インナーチャイルドは
お元気ですか?