今日は 春の巻の 一部です。
第三十五帖
念じつつやれ。神の為と念じつつやれば神のためとなる。小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ。自分と云ふことが強くなるから発展ないのぢゃ。行き止まるのぢゃ。われよしとなるのぢゃ。調和が神の現れであるぞ。霊と調和せよ。肉体と調和せよ。人と調和せよ。食物、住居と調和せよ。世界と調和せよ。うれしうれしぞ。一生かかってもよいぞ。おそくないのぢゃ。自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん。悪いくせ直さねばならん。これが第一歩、土台ぢゃぞよ。
よきことは 人にゆづりて 人をほめ 人たてるこそ 人の人なる。
敬愛の まこと心に まことのり まこと行ふ 人ぞ人なる。
(春立つ日、ひつく神)
第三十六帖
何事に向っても先づ感謝せよ。ありがたいと思へ。始はマネごとでもよいぞ。結構と思へ。幸と思へ。そこに神の力加はるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが。病気でないと思へ。弥栄と思へ。病治るモト生れるぞ。キがもとぞ。何事くるとも何クソと思へ。神の力加はるぞ。おそれはおそれ生むぞと申してあろうが。一聞いて十さとらねばならんぞ。今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、ハラでさとりて下されよと申してあろう。
第三十七帖
相手八と出たら二と受けよ。人民と申すものはモノに囚われるから何事も判らんから、十二と出、二十と出、三十六と出たらポカンとして判らんことになるぞ。十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けよ。又十二と受けるテもあるぞ。二十と出たら八十と和せよ。立体になればそれだけ自由になるのざ。世界広くなるのぞ。早う立体さとりくれよ。
第三十九帖
道は三つと申してあろう。三とは参であるぞ。3(スリー)でないぞと申してあろう。無限であるぞ。平面的に申せば右と左とだけでないぞ。その右の外に、又 左の外に道でなき道あるぞ。それを善の外道、悪の外道と申す。外道多いのう。中の中には中の道あるぞ。中の中のは無であるから動きないぞ。動きないから無限の動きぢゃ。その の外の中は人民にも動きみゆるぞ。この道は中ゆく道ざと申してあろうが、中のの道は太神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道ぢゃ。判りたか。
第四十帖
思想と申すのは広い意味で、太神から出てゐるのではあるが、幽界からの力が強く加わってゐるのぢゃ。ネンと申すのは神界からの直々であるぞ。悪の気、断たねばネンとはならんぞ。
第四十四帖
念入れかへるぞ。念入れかへるとは、新しき霊界つくることぞ。新しき霊界つくるとは、太神の真中にとけ入ることぞ。
第四十五帖
一時は人民なくなるところまで行くと申してあらうが。人民なくしても人民なくならん。洗濯して掃除して、新しき道早う進めよ。おそくなる程六ヶ敷く苦しくなるぞ。近目で見るから判らん。日本の、世界あけたり。あな爽々(スガスガ)し、日本晴れぞ。二二(フジ)は晴れたりとは、真理の世に出づことぞ。天のこと地にうつすときは、地の力出るように、地の息吹き通ふように、弥栄するように、念を地の力と現はれるように、正しくうつして下されよ。邪気入ってはならん。
第四十六帖
今の武器は幽界の裏打ちあるぞ。神界の裏打ちある武器でなくてはならん。まことの武器ぞ。ヒックリであるぞ。念からつくり出せよ。その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ。念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ。中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならん。
第四十七帖
念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど。ものごとには順と時あるぞ。もとのキから改めて下されよ。尊き御役。
第四十八帖
念なりと、今の人民申す思想はマコトの念でないぞ。思想は思想ぞ。念とは力であるぞ。実在であるぞ。喜びであるぞ。喜びは神ぞ。弥栄。(二月十二日、ひつく神)
私たちの使っている念の意味が違いますね。
想いの世界を変えなさいということなんでしょうね。
今あることは今あること
念=(想い+大儀・・とわたしは思う) を変えていけば
すべてが変わるのだと思います。
第三十五帖
念じつつやれ。神の為と念じつつやれば神のためとなる。小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ。自分と云ふことが強くなるから発展ないのぢゃ。行き止まるのぢゃ。われよしとなるのぢゃ。調和が神の現れであるぞ。霊と調和せよ。肉体と調和せよ。人と調和せよ。食物、住居と調和せよ。世界と調和せよ。うれしうれしぞ。一生かかってもよいぞ。おそくないのぢゃ。自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん。悪いくせ直さねばならん。これが第一歩、土台ぢゃぞよ。
よきことは 人にゆづりて 人をほめ 人たてるこそ 人の人なる。
敬愛の まこと心に まことのり まこと行ふ 人ぞ人なる。
(春立つ日、ひつく神)
第三十六帖
何事に向っても先づ感謝せよ。ありがたいと思へ。始はマネごとでもよいぞ。結構と思へ。幸と思へ。そこに神の力加はるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが。病気でないと思へ。弥栄と思へ。病治るモト生れるぞ。キがもとぞ。何事くるとも何クソと思へ。神の力加はるぞ。おそれはおそれ生むぞと申してあろうが。一聞いて十さとらねばならんぞ。今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、ハラでさとりて下されよと申してあろう。
第三十七帖
相手八と出たら二と受けよ。人民と申すものはモノに囚われるから何事も判らんから、十二と出、二十と出、三十六と出たらポカンとして判らんことになるぞ。十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けよ。又十二と受けるテもあるぞ。二十と出たら八十と和せよ。立体になればそれだけ自由になるのざ。世界広くなるのぞ。早う立体さとりくれよ。
第三十九帖
道は三つと申してあろう。三とは参であるぞ。3(スリー)でないぞと申してあろう。無限であるぞ。平面的に申せば右と左とだけでないぞ。その右の外に、又 左の外に道でなき道あるぞ。それを善の外道、悪の外道と申す。外道多いのう。中の中には中の道あるぞ。中の中のは無であるから動きないぞ。動きないから無限の動きぢゃ。その の外の中は人民にも動きみゆるぞ。この道は中ゆく道ざと申してあろうが、中のの道は太神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道ぢゃ。判りたか。
第四十帖
思想と申すのは広い意味で、太神から出てゐるのではあるが、幽界からの力が強く加わってゐるのぢゃ。ネンと申すのは神界からの直々であるぞ。悪の気、断たねばネンとはならんぞ。
第四十四帖
念入れかへるぞ。念入れかへるとは、新しき霊界つくることぞ。新しき霊界つくるとは、太神の真中にとけ入ることぞ。
第四十五帖
一時は人民なくなるところまで行くと申してあらうが。人民なくしても人民なくならん。洗濯して掃除して、新しき道早う進めよ。おそくなる程六ヶ敷く苦しくなるぞ。近目で見るから判らん。日本の、世界あけたり。あな爽々(スガスガ)し、日本晴れぞ。二二(フジ)は晴れたりとは、真理の世に出づことぞ。天のこと地にうつすときは、地の力出るように、地の息吹き通ふように、弥栄するように、念を地の力と現はれるように、正しくうつして下されよ。邪気入ってはならん。
第四十六帖
今の武器は幽界の裏打ちあるぞ。神界の裏打ちある武器でなくてはならん。まことの武器ぞ。ヒックリであるぞ。念からつくり出せよ。その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ。念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ。中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならん。
第四十七帖
念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど。ものごとには順と時あるぞ。もとのキから改めて下されよ。尊き御役。
第四十八帖
念なりと、今の人民申す思想はマコトの念でないぞ。思想は思想ぞ。念とは力であるぞ。実在であるぞ。喜びであるぞ。喜びは神ぞ。弥栄。(二月十二日、ひつく神)
私たちの使っている念の意味が違いますね。
想いの世界を変えなさいということなんでしょうね。
今あることは今あること
念=(想い+大儀・・とわたしは思う) を変えていけば
すべてが変わるのだと思います。