芙蓉の巻
第十帖
赤丹(あかに)の頬に きこしめしませ 御酒(ミキ)たてまつる。
何事が起って来ても先づ喜んで迎へねばならんぞ、近づいてくるのは呼びよせたからぢゃ、こんないやな、きたないものは、ごめんぢゃと申す人民もあるなれど、それは皆己の心のうつしでないか。内に無いものが外から近よる道理ないのぢゃ、どんなものでも、喜んでむかへるとよろこびとなる結構な仕組、よく会得せよ。何事も一段づつ、一歩づつぢゃ、一足飛びは大怪我のもと。
月光の巻
第二十二帖
産土さまによくお願いなされよ。わすれてはならんぞ。宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ。他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構。
第二十四帖
怒ってはならん。急いではならん。怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふぞ。太神のしぐみに狂ひはないぞ。皆々安心してついて御座れよ。
第二十五帖
食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切。
自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。更に、又奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。
高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。
山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。草木動物 悉く自分ぞ、歓喜ぞ。その自分出来たら天を自分とせよ。天を自分にするとはムにすることぞ。 に化すことぞ。ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。
第二十六帖
現状を足場として進まねばならん。現在のそなたのおかれてゐた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。山の彼方に理想郷があるのではないぞ。そなたはそなたの足場から出発せねばならん。よしそれが地獄に見えようとも、現在に於てはそれが出発点。それより他に道はないぞ。十二月三十一日。
第二十七帖
はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。
よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中であるぞ。大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
はらふと申すのは無くすることではないぞ。調和することぞ。和して弥栄することぞ。
第二十八帖
厄も祓はねばならんが、福も祓はねばならん。福はらひせよと申してあらうが。厄のみでは祓ひにならん。福のみでも祓ひにならんぞ。厄ばらひのみしたから今日の乱れた世相となったのぢゃ。この判り切った道理が何故に判らんのか。悪を抱き参らせよ。善も抱き参らせよ。抱くにはにならねばならんぞ。
第二十九帖
モト(母答)を正さねばならん、間に合わんことになるぞ。心の改心すれば、どんなおかげでもとらすぞ。
幽国(がいこく)は火の雨ぢゃなあ。世界一度に改心。
第三十帖
心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病はやるぞと申してあるがそのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなってゐるから気付けてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。
第三十一帖
足のうらをきれいに掃除なされよ。外から見えん所がけがれてゐるぞ。日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。イヅモの神の社をかへて竜宮の乙姫(理由空云の音秘)様のお社を陸(理空)につくらねば、これからの世はうごきとれんことになるぞ。一切が自分であるぞと云うことは例へでないぞ。そなたは、食物は自分でないと思うてゐるが、食べるとすぐ自分となるでないか。空気も同様、水も同様ぞ。火も同様、大空もそなたぞ。山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ。人間は横の自分ぞ。神は縦の自分ぞ、自分を見極めねばならん。自分をおろそかにしてはならん。一切をうけ入れねばならんぞ。一切に向って感謝しなければならんと申してあろうが。三十一年一月三日。
今日は
お弟子ちゃんの男の子が
職場での問題を相談してきていました。
だれそれが悪い・・・
いえいえ それは自分が呼び寄せたこと・・・
と
話していたのですが
今あるのは自分が呼び寄せ 起きたこと
それは自分のせいで 誰のせいでもないこと
だから なにも考えずに
感謝感謝感謝
そういいなさい
そう思いなさい
腹に入れなさい
そういいました。
皆さんも
いろいろありますでしょう
反省すべきは 自分です。
そして 感謝です
自分が変われば 回りもかわるのですから
第十帖
赤丹(あかに)の頬に きこしめしませ 御酒(ミキ)たてまつる。
何事が起って来ても先づ喜んで迎へねばならんぞ、近づいてくるのは呼びよせたからぢゃ、こんないやな、きたないものは、ごめんぢゃと申す人民もあるなれど、それは皆己の心のうつしでないか。内に無いものが外から近よる道理ないのぢゃ、どんなものでも、喜んでむかへるとよろこびとなる結構な仕組、よく会得せよ。何事も一段づつ、一歩づつぢゃ、一足飛びは大怪我のもと。
月光の巻
第二十二帖
産土さまによくお願いなされよ。わすれてはならんぞ。宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ。他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構。
第二十四帖
怒ってはならん。急いではならん。怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふぞ。太神のしぐみに狂ひはないぞ。皆々安心してついて御座れよ。
第二十五帖
食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切。
自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。更に、又奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。
高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。
山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。草木動物 悉く自分ぞ、歓喜ぞ。その自分出来たら天を自分とせよ。天を自分にするとはムにすることぞ。 に化すことぞ。ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。
第二十六帖
現状を足場として進まねばならん。現在のそなたのおかれてゐた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。山の彼方に理想郷があるのではないぞ。そなたはそなたの足場から出発せねばならん。よしそれが地獄に見えようとも、現在に於てはそれが出発点。それより他に道はないぞ。十二月三十一日。
第二十七帖
はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。
よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中であるぞ。大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
はらふと申すのは無くすることではないぞ。調和することぞ。和して弥栄することぞ。
第二十八帖
厄も祓はねばならんが、福も祓はねばならん。福はらひせよと申してあらうが。厄のみでは祓ひにならん。福のみでも祓ひにならんぞ。厄ばらひのみしたから今日の乱れた世相となったのぢゃ。この判り切った道理が何故に判らんのか。悪を抱き参らせよ。善も抱き参らせよ。抱くにはにならねばならんぞ。
第二十九帖
モト(母答)を正さねばならん、間に合わんことになるぞ。心の改心すれば、どんなおかげでもとらすぞ。
幽国(がいこく)は火の雨ぢゃなあ。世界一度に改心。
第三十帖
心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病はやるぞと申してあるがそのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなってゐるから気付けてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。
第三十一帖
足のうらをきれいに掃除なされよ。外から見えん所がけがれてゐるぞ。日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。イヅモの神の社をかへて竜宮の乙姫(理由空云の音秘)様のお社を陸(理空)につくらねば、これからの世はうごきとれんことになるぞ。一切が自分であるぞと云うことは例へでないぞ。そなたは、食物は自分でないと思うてゐるが、食べるとすぐ自分となるでないか。空気も同様、水も同様ぞ。火も同様、大空もそなたぞ。山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ。人間は横の自分ぞ。神は縦の自分ぞ、自分を見極めねばならん。自分をおろそかにしてはならん。一切をうけ入れねばならんぞ。一切に向って感謝しなければならんと申してあろうが。三十一年一月三日。
今日は
お弟子ちゃんの男の子が
職場での問題を相談してきていました。
だれそれが悪い・・・
いえいえ それは自分が呼び寄せたこと・・・
と
話していたのですが
今あるのは自分が呼び寄せ 起きたこと
それは自分のせいで 誰のせいでもないこと
だから なにも考えずに
感謝感謝感謝
そういいなさい
そう思いなさい
腹に入れなさい
そういいました。
皆さんも
いろいろありますでしょう
反省すべきは 自分です。
そして 感謝です
自分が変われば 回りもかわるのですから