昨日 体がだるく 夏ばて?と想いながら

すごしていたが

K君が 「お出かけ日和ですぜー」と誘ってくれたので

出かけることに・・・。


こういう日は なにか 気になると言う感じなのだが

お任せで行くほうがいいので

K君の行きたいところでいいよ・・というと

なんとなく 行けそうなところが 

この辺・・という 流れが出来た。

私は何度も行ってるので 感激は無いけど

やはり いい場所だな・・と感じていた。


帰り道 

ああ ここにきたなら 近くに 黒住教さんが あったはず・・。

お参りしてゆきたいな・・と思った。

私の 教えの元   

ひふみでいうところの

黒住 金光 天理 大本・・という流れを出した

初発の輝き 黒住教・・。

ちっとも宗教くさくない 心の教えを 御霊を磨くとは・・ということを

教えてもらった・・。


黒住教(くろずみきょう)は、岡山県岡山市今村宮の神官、黒住宗忠が江戸時代(文化11年11月11日・西暦1814年)に開いた教派神道で、神道十三派の一つである。同じ江戸時代末期に開かれた天理教、金光教と共に幕末三大新宗教の一つに数えられる。 現在の教主は6代目で、黒住宗晴。

沿革 [編集]

文化11年(1814年)11月11日、病気のため死を覚悟した黒住宗忠は太陽を拝む(日拝)中で天照太神と同魂同体となるという「天命直授」と言われる霊的体験をした。これ以降、病気も治り、宗教活動を始めた。以後、嘉永3年(1850年)に死ぬまで、布教や病者の救済をした。

皇室や公家の中に宗忠に帰依する者が多く、宗忠の死後、安政3年に神祇管領長上・吉田家より「宗忠大明神」の神号を与えられ、文久2年に京都の神楽岡に宗忠神社が創建された。宗忠神社は慶応元年(西暦1865年)、孝明天皇によって勅願所となり(孝明天皇が定めた勅願所は宗忠神社のみである)、従四位下の神階を宣下された。

明治9年(西暦1872年)神道から別派独立し、神道黒住派と称す。以降の近代古神道運動のさきがけとなった。

今日、神道系の新宗教で一般的になっている主神 (すしん。宇宙主宰神) という考え方の嚆矢でもある。天理教、金光教、大本(大本教)、生長の家、等、後の新宗教運動に直接・間接に与えた影響は少なくない。

竹内文書で有名な竹内巨麿(たけうちきょまろ)が一時期、入信していたとも言われている。

御祭神は「天照大御神」「八百萬神」「教祖宗忠神」の3柱。教団本部は岡山県岡山市北区尾上、神道山(しんとうざん)。信仰活動として伊勢神宮奉賛活動を続けており、伊勢神宮とは親しく神道山の本殿建築には遷宮時の旧内宮の古材を大量に下賜され利用した。

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普通の神社としても認められてるのだ・・。

なぜなら 伊勢と同じように

アマテラス様を 神様とたたえているから・・。

心を曇らせない教えを伝えてくれる。

昔 私が 悟りを得たときに

一冊の本の、たった一節に 気付きがあったのだが

その本の著者は 横尾忠則さんだった・・

では 横尾さんの家の宗教は?と 気になったら

彼の家は 黒住教であると 書いてあった。

「え?」 

私の叔母が 鳥取のとある城の城主で 

維新後の士族入植で 来道した家・・に嫁いでいたのだが

その家が黒住教を入植時に北海道にともに来て

大事にお奉りして、今のその地域の礎と築いたいたという

家なのだが、その宗教だったのだ。

私は特定の宗教は持たないけど

身近な叔母の家でいつも見ていた 大きな神棚(神床?)の前で

ご挨拶していたものが 私に光りを運んでくれたと言うことに

縁というものが こういうものかと 驚いたものだった。

かくして 私は 

黒住宗忠さんの 教えを 学び

腹に叩き込んだ・・でも ちっとも難しくない

だからこそ 腹に収まるものなのだと思う。



昨日 神殿の大きな鏡に向かい 

ああそうか  アマテラス様は出たんだもの

岩戸は開いたんだもの

これから いろんなものが 本当の形になる

光りは 真実を映し出すのだろう・・

これから はっきりとした世界が 映し出されるであろう・・と

腹にストンと メッセージが降りる。


天気も悪いけど それは 意味のあること

明日から光りはでる  暑くなるよって メッセージが来る


黎明という言葉がある

そういう時代に向かうのだろう・・・。


少し気になったのが

あの 竹内文献の竹内巨麿が 黒住教に 入信していたことがある・・

それも 驚いた。

彼の元に 三種の神器があり

その神社に今年行ったときに そのものの御霊だけ

預かってきたのだが

なぜだか 理由はわからない・・。

いずれわかる日が来るのだろう・・。

最近 私のなかにも いろんな変化がきてる


素直じゃないこと 概念じゃないと言う意味での真の正しいことに

スポットが当たっている気がする・・

腹に手を当てて 己の中を 見つめよ・・・

身魂は綺麗であるのか?

そう 問いだされてるような出来事に会い・・

人との関係でも そういう状況になっていった。

いつもは 何でもOKのわたしも

今回はそうも行かずに 己の気持ちの中でおきるズレに

修正をきかせることもできなくなっていった。

もう 無理をしない

流れにまかす。

良いも悪いもない・・・

ただ そこにあるだけ・・・。

そういう感情になってしまった・・。



なにか 天はもう いいよ

すべて 水に流れる・・ 新しい御世が来ると

喜んでいるようだ。


昨日は旧暦の六月十日

日月神示が 岡本天明に降りてきた・・という日でもあった。


その日に

初発の黒住教の神殿前で

大きな鏡に祝詞を上げながら

大きな意味があることを 感じていた。


アマテラス様が おでになられた。

これからの御世がどう変わっていくのか


見つめていかねばならないのかもしれない。