wowow『ジェーンとシャルロット』『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』 | 今や、生存確認の為という目的も担っている『魔女のくらしよう』

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 『ジェーンとシャルロット』

女優業などフランスの代表的アーティストである、シャルロット・ゲンズブールが初監督を務めたドキュメンタリー「ジェーンとシャルロット」を初放送。

 
 
『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』

イヴァン・アタル監督が女優を妻に持つ男性の苦悩を描いたラブコメディ。監督の妻であるシャルロット・ゲンズブールが本人役で、そしてその夫役に監督自身が出演しているという関係が面白い。さすがに自分の妻だけあって、映画全体を通じて、シャルロット・ゲンズブールがとても綺麗で魅力的に映し出されている。

『ジェーンとシャルロット』は母ジェーン・バーキンと娘シャルロット・ゲンズブールのドキュメント。『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』はシャルロット・ゲンズブールと夫イヴァン・アタルのドキュメントだ。



 
『カトマンズの恋人』
原題 Les Chemins de Katomando
製作年 1969年
製作国 フランス
ストーリー
一九六八年の五月革命の挫折感から脱け出すため、オリビエ(R・ベルレー)は、ファッション・モデルである母マルチーヌ(E・マルチネリ)のもとをはなれ、母と別れた父をたずね、カトマンズへ向った。インドで出迎えた友人のパトリック(J・P・トリブゥ)が、原地人のため、無料の労働作業をしていると聞いて、オリビエは彼を冷笑した。すぐさま、カトマンズへの道をふみしめた彼は、途中ヒッピー仲間と一緒になり、ジェーン(J・バーキン)という娘に魅かれてしまった。そして彼等は、ローリン(A・ダール)と名乗るアメリカ婦人の車に同乗し、カトマンズへの道を走った。その夜、オリビエはジェーンの体を求めた。愛と自由の化身のような彼女は、彼をうけ入れるのだった。しかし、ジェーンの麻薬常用を非難し、やがてオリビエは彼等と別れ、父のもとへ向った。やっとのことで、父親にめぐり会ったオリビエだが、予想に反して、父親はテッド(S・ゲンズブール)という男の下働きをしているに、すぎなかった。落胆したオリビエの脳裏に、またジェーンの姿がもどってきた。そして、再会したローリンから彼女の居所を聞いたオリビエは、ヒッピーの留り場を訪ねるのだった。そこには、麻薬におかされたジェーンが見る影もなく横たわっていた。彼女をなんとか破滅から救い出そうと決心したオリビエは、テッドが仏像泥棒をしていることも承知で、彼の下で働くことにした。そして、ジェーンの体を完全に癒すため、美しい士地へ二人で旅立つ夢を、彼女と語り会った。だが、オリビエが初めて仏像を盗んで帰ってみると、テッドがジェーンにむりやり麻薬を注射していた。激怒したオリビエは、テッドにとびかかり、格闘となった。その時、平衡を失ったジェーンの体は、二階の窓から落ちていった。生まれて初めて流すオリビエの涙が、ジェーンの冷たくなった唇を濡らした。数日後、灼熱の原野に汗して働くオリビエの姿があった。
『カトマンズの恋人』は映画館で観た。懐かしい。

 

 魔女ジュリエット