旅の記録はまたもや中断。

今回パレルモに行くにあたり長女からいくつか本を持ってきて欲しいと頼まれました。

遠藤周作の「沈黙」←これは高校時代の課題図書


それからシドッチ神父の本。




数年前にパレルモに突然現れた日本語の表示、これをみてびっくりしたのです、シドッチ神父ってパレルモの人だったの?と。



それとは別に、沈黙のロドリゴ神父のモデルとなったキアラ神父もパレルモ出身だったこともその頃知り長女ともすごいわねーと話していたのでした。


長女の学校では、高校の修学旅行は長崎へ行くのが慣例で、事前学習レポートも作り、その地でキリシタンについてフィルドワークしてかなり学び、考える旅となります。


さて、長女はちょっと前から「Buongiorno notte」という早起きの会のような文化グループに誘われて参加しています。

夜明けの時間に集まってアカデミックな話を聞いたり、文字通り夜明けをみんなで見ていたり。

そして今回は娘にシドッチ神父やキアラについて聞かせてほしいと依頼されて。



それでもう一度沈黙も読み返してシドッチについても説明できるようにしたいと本をお願いされたのでした。

ただしこの本をかなりしつこく読まされていたり、随分と深掘りして毎回質疑応答をされてきた高校生も今では少ないと思いますからこんな日本人はかなり珍しいとは思うのですが😅

そういう面でも娘は実は古くからこの地と縁があった気がします。


当日の朝、集合6時半!😳



日本語を読みあげてる、笑




みなさんと質疑応答なんかもあって有意義な時間になったようでした。



この日はみきさんも誘って、みきさんの大福もみんなでいただいたそう。

(写真や動画もみきさんが送ってくれました)


小さな活動ですがここからまた日本への理解をすすめようとしてくれる人が出来たらそれは嬉しいですよね。

それに遠く離れた国なのにこんなに大昔からパレルモ人との関わりがあったなんて(ただ、拷問なんかは正直心苦しい表現が多い…けどそれはパレルモ、長い歴史の中ではなんでもありなところもありますからことさら日本だけがひどいというわけでもないという理解があるのはありがたい)


娘がfacebookにあげていました↓





そして後日こんな事も。↓



私もこのことは知りませんでした。

この傍祭壇に日本の26聖人殉教者の中の3人がまつられているのだそう。

26聖人記念館には娘たちも行っていたから、遥か離れたパレルモにもこんなふうに祀られている事は何か不思議な気持ちになったり。

パレルモの方からも知らなかった、というコメントなどついていて、こうしてバレエとは別の世界の小さな文化交流に誘っていただけてそれもまた大変嬉しい事だと思います。


私は、信仰とは別としてもキリスト教の知識は、歴史、建築、絵画、音楽どの分野でも必ず必要となるから、機会があるのなら宗教学には触れられたらよいなぁと常々思っています。

せっかくヨーロッパに住んでいたのに日本人親が抵抗感があって子供の頃はカテキズムの時間だけは1人家に帰っていた、というミックスの子がいるのですが季節の宗教行事や教養に少しそのせいで理解が少なくて困ったのだと。


日本におけるキリシタン史については日本人だからこそ語れる事もありますし、娘たちは小さな頃からこの日本の殉教者については度々問いかけられる「あなたならどうするか?」を通して、信仰のことだけではなく、信念とか信頼とかいろんなことを考える機会になっていると思います。


数年前ですが三女が同じ問いかけをされた時に書いてきた

「イエス様はそんなことでわたしのことを嫌いにはならないと思うから堂々とその絵は踏みます」にはちょっと笑いましたが。

でもこういう問いかけって自己肯定感への問いかけでもある気がしたりしますね。

もちろんこの問いは卒業するまで何度も何度も問いかけられるそうなので彼女がこれからどう変遷していくかも楽しみです。


今回のこの件は主人の両親がとても喜んでくれました。

義父は70超えてからフランスからスペインまで巡礼の道をたった1人携帯すら持たずあるいたのですが、本当はそのあとイタリアの巡礼道を歩くのが夢だったのですよね、でもそれが叶わず今は日本殉教者巡りを目的にしているので…


遠藤周作の作品、私は沈黙よりもなぜか「私が・捨てた・女」がすきなんです。

思うに誰がどう正しいとかそういうことが重要なのではなくて、私たちは正しく生きようと思った時どうしたら良いのだろう?と、考えるきっかけがたくさんたくさん散りばめてあるからのような気がします。

でもふと思ったのですが、沈黙の場合はテーマがあまりにも大きかったから私は当時あまり自分ごととして考えられなかったのかな?と思い今一度きちんと読んでみたいなと思ったのでした。