先月からたまたまなのですが、様々な絵本作家の作品や経歴にまつわる本を地道に読んでおりました。
読んでいたのは、トミ・ウンゲラー(フランス人で、すてきな三にんぐみ、ヘビのクリクター、アデレード-そらとぶカンガルーのお話し、コウモリのルーファス、ぼうし、つき男、ゼラルダと人食い鬼 等など我が家は3人ともとってもお世話になってきた絵本作家)についてや、トーヴェ・ヤンソンとガルムの世界(トーヴェは言わずと知れたムーミンの作者)そしてジャンジャックサンペ(つい最近書いたプチニコラの挿絵画家)
トミ・ウンゲラーについて、彼の生い立ちと人生についてとても興味深い考察となっていました。
彼がフランスのアルザスで生まれ育ち、ドイツ領になり仏語も話すことを禁じられたヒトラー時代、そしてフランスに返還されてからはフランスの中でドイツ協力者のように見られた時代…
その後アメリカに渡り、風刺ポスターも作りながら絵本も作っていた時代。
絵本はいつも、異質のものを主体にしていること。
世界の中で、嫌われ者、異質のものを描き続けた絵本作家でもあります。
しかし、その結末は時代によって色々です。
異質のものがその地に同化し馴染んで暮らす結末、相手の考え方を変えていくもの、とても仲良くなるけれど、自分のコミュニティに戻り行ったり来たりしながら仲良くなるもの。
人を変えながら旅を続けるもの…
しかしそのようなウンゲラーがアメリカである時から、心理的な影響や教育的な観点(ポリティカル・コレクトネス)への配慮から、子供には「不適切」と指摘され始めたこと…
しかしウンゲラーにとって、子供が生きなくてはならない現実をごまかしたり、理想化して描くことは子供への不誠実な態度でしかなく、彼は1971年アメリカからカナダへ移り住みます。
彼が絵本作家としての活動と並行して描いていた風刺画はこのようなものです。
このBLACK POWER WHITE POWERのポスターなどは50年以上経った今のアメリカの様子を予言しているかのようです。
しかし、ここにアジア人はどこに?とも思うのですが…
アルザスといえば、「最後の授業」だよねーと夫と話していたのですが、調べてみたらこれは1800年代の話で、この地はいつも侵略の歴史があったのですね…
シチリアもそうですが。
本の中でウンゲラーが大戦中に感じたことをたくさんイラストに残していたりトランプを作っていたり、ドイツ人として振る舞ったりフランス人として振る舞ったりしてからの軌跡が色々と紹介されています。
その違いも交えて話してくれるのでそこもとても面白いです。ローザンヌの仏語もベルギーの仏語も数の数え方など違いがあるのですよね。
そしてもう一人、サンペの世界も彼も風刺画をいくつも描いた人です。
よくみるとプチニコラの挿絵もとても愛らしい中で大人の意地悪さや愚かさがちくっと描かれています。
児童向きではない風刺画そのものは、かなり難しい仏語のセリフが添えられているものが多いので、なかなか理解することが困難なのですが…
そしてトーヴェについてです。
このトーヴェとガルムについての記事は以前にも書いたことがあるのですが、彼女は大変長く風刺漫画に関わってきた人です。
フィンランドの独立とスウェーデン人としての誇りとの間で、そして彼女もフランスに留学して身につけてきたエスプリもあったと思います。(あまり良い思い出はなかったようですが…ただ、対戦前夜のパリて戦争の足音をまざまざと実感してフィンランドに帰ってきたからこその見識がその後の風刺画に大変あらわれていると思いました。)
当時の彼女の風刺画はこんな感じです。
世界情勢の中で、一見平和のために進んだような決定にも深く切り込んだ風刺画を描き続けています。
そこからのムーミンの誕生です。
このGARMの文字に小さく隠れるムーミン、トーヴェはこのトロルの姿を風刺画に入れるようになりました。
1944年終戦の前年ですが日本も風刺されています。
今どき流行らない仮面。
左下にある捨てられた仮面には、日本人がカリカチュアで描かれる典型的、メガネ、出っ歯の風貌の仮面が添えられています。ムーミンものぞいていますね。
日本が敗戦した時のガルムの表紙は日章旗の中で沈む船。
「トーヴェヤンソンとガルムの世界」
いつ読んでも気づきがあります。
こういう風刺漫画を思った時に、明治時代に活躍した日本についての風刺画家、ビゴーにも思いが飛びました。
教科書にも載っていたから、誰もが思い出すのではないでしょうか?
私は何故か高校生の時の日本史の教科書だけはとってあって、何かを思い出したくなると必ずそれを読み返しています。
今は歴史認識が変わったこともたくさんあるのですが、その当時自分がどう学んだか?ということを改めて考え今と照らし合わせることが好きだからです。
この、風刺画は今は分かりませんが当時の高校生ならばほとんどは目にしたのではないでしょうか?
私は当時、あー、日本人ってこんなに醜く描かれてたんだなぁーというようなことにしか目を向けてていなかった気がします。
メガネ、出っ歯。西洋文明を追いかけるだけ。
でもそれって当時の教育が日本はいかに馬鹿にされていたか?というようなものに偏っていた気もするのです。
ちょっと今のコロナについても同様に思います。
日本は世界でどれだけバカにされているか?と言いたがる人達の存在。
しかしきちんと自分の目でみるようになった時に、風刺画というものへの正しい見方がわかってきたように思うのです。
トーヴェもウンゲラーも西洋の人のことでもグロテスクに、意地悪に特徴を誇張しながら描いています。
風刺画の全てを良いとは全く思っていないし、ほとんどが不快なものであるとも思っていますが、そのカリカチュアに対してはきちんと話し合ったり抗議するきっかけとなると良いしきっとそういう文化だったのだろうと思うのです。
三女のハンカチにこんなものをかいました。
彼女が大好きなので。
鳥獣戯画より
日本人は漫画を通じて異世界異文化のことを小さな頃からあーだこーだとフィクションとして語り合える環境としょせん漫画だしって話す土壌があるのはもしかしてとても素晴らしいことなのかも?と思ったりします。
本というのは、何度も読み返すたびに、その時に反応して気づきをくれるものだと思います。
古い教科書でさえ。
だからそのことについて様々な国や文化の中で生きていく人達と話し合う機会は提起は大切なことではないかな?と思っています。
風刺漫画というものは、その時には大変スキャンダラスだったり、過去を振り返って見てみたらただの時代の一片だったりするのですから、そのような資料として話し合うことが大切なことではないでしょうか?
ノラクロだってサザエさんだって意地悪ばあさんだってドラえもんだって今見てみるとえ???というような表現もありますし、日本人にはそういう風刺についての耐性はむしろあるのかもしれません。