どんな力があっても私の魂は一度きり


卑弥呼さまからしかしらないけど


そのあと

推古天皇になり→二回天皇家に生まれ→

吉宗の御代、→伊達政宗の数年で死んだ妹、→

家茂の妻、追手に切られ→武家の娘で農家の嫁に家出してなって五人こどもを生んで、親の使いで殺されそうになった夫をかばって切られて死に、→こども生んで結婚したので、男に生まれ→出兵の前に車にはねられ足をなくし、車椅子→看護婦見習いの双子の女の子、人をかばって16歳でなくなった→今の私に生まれる

でもそのなかに能力者らしい人はいなかった

神は本来存在するだけで守る力がある

ましてや唯一の男に生まれた時は

終戦の日に亡くなってます

まるで責任とるかのように


この国は男神には守る力もありません

私が死ねばすぐに男神で生まれます

八人産んで三回結婚したので


前に男神の時は生まれて死ぬまで

「戦争」でした

戦争は「しない」という国民の意志だけ

では防げない

国の神の運によるのです

運に飢えてるから戦争になる

車の事故の多数がもらい事故のように

相手にしかけられるのです


日本は「女神」がいなくなれば

災害、戦争になります

そのため、神100%のこどもを産もうと

努力しましたが

五回の流産でした


ということで

6人の孫のなかでたったひとり娘の子が

女神でした

その子と主人の生まれ変わりで

次の私が結婚してこどもをうんで

40を越えて死ぬまで保ってもらうしかありません


生きていないと守れないんです

だから

アマテラス様の望むことを「生きて」行ってるのです


太陽の光すらアマテラス様の意思が弱ると弱るのです

次に強い雷を司る孫と

雪を司るツキヨミさまの代わりの主人

がでることになるから

雨と雹と雷になるのです


これはどんな努力をしても

人間にはできないのです


祀られてる死んだ人にも

だから神の命はいき続けるのです


卑弥呼様も私も「たましい」は

一つだけ

私の命がつきて生まれ変わっても

命は私でも、魂は私ではないのです

一度きりなんです


人間も同じです

やり直しのきかない一度きりの魂

大事に生きましょう