「よし!決めた!」




グルメ番組を見ていたら、ムショーにお刺身が食べたくなった。

今夜のつまみは生魚!と心に決め、近所のスーパーを目指す。




18時なのに、まだ明るい。

夏はもうすぐなんだなと、空を見上げる。





店の外に重ねてあるカゴを一つ取る。

入り口付近に設けられた特売コーナーを見ていると、

後ろから女性の声がした。






「あー!これ懐かしいーっ!!!」






えっ?何か懐かしいの?と声のほうに振り向く。

その女性の手には“あんずボー”なるものが。




「ねー、これ懐かしいねー、マユちゃん知ってるー?」




その女性の足元にいるマユちゃんは、見たところ3歳くらい。



生まれてからまだ3年だ。

懐かしいと昔を振り返れるほど、マユちゃんは大人じゃない。





「これねー、あんずボーって言うんだよー!あー、懐かしいねー」





テンション高いお母さんとはウラハラに、マユちゃんは・・・











 無表情。










ポカンでもなければ、キョトンでもない。

3歳の子の無表情。

なんてシュールなんだ。


マユちゃんのところだけ、まるで時間が止まったかのよう。

髪に結んだピンクのリボンだけが、ユラユラと揺れ、

時が進んでいることを教えてくれる。



“無表情”という言葉の意味を、改めて再認識させていただいた。

身をもって教えてくれたマユちゃん、ありがとう。






テンションの高いマユちゃんママは、みんなにあげよっと言いながら

3袋ほどカゴに入れて、その場を離れた。

すかさず私がマユちゃんママの居た場所を陣取る。







《ミナツネのあんずボー88円!本日のみ!》


Mariaの【笑う門には福来る】








手に取ってはみるが、やはり記憶にない。

まったくと言っていいほど、懐かしくないのだ。



私は静岡生まれ。

比較的関東に近い位置だが、店頭に並んでいるのを見たことがない。

これは、東京だけのものなのか?

それとも、マユちゃんママと生まれた世代が違うのか?

本日88円って、普段はいくらなのだ?

というか、今までこの店でこれを売っていた記憶がないのだが?



色々不思議に思っている私をよそに、赤帽子のあんずちゃんは、

満面の笑顔だ。

隣のワンちゃんも、心なしかウキウキしている。


Mariaの【笑う門には福来る】









“そもそも、どうやって食するのだろう”





見た感じ、真っ茶色の液体に、茶色のあんずの果肉らしきものが

浮いている。




“飲み物か?”




パッケージを裏返すと【楽しい召し上がり方】と記載がある。





決して、美味しい召し上がり方なのではない。

楽しい召し上がり方なのだ。






見ると、

「冷凍室で凍らすとおいしいアイスあんずキャンデーができます」






その下に、アイスキャンデーを笑顔で食べるあんずちゃんがいた。








「・・・。」








いやいやいやいやいや。

ごまかされないよ、あんずちゃん。

“楽しい召し上がり方”って言ったじゃない。

ちがうなー、思っていたのとちがうなー。


と、心の中であんずちゃんにツッコミを入れる。






と、その下に、【成人用】とあるのを発見。


読むと、

 《あんずサワーの作り方》
  あんずぼーを凍らせて2本入れる。
  焼酎と、水もしくはタンサン水を適量入れる。
  甘ずっぱくって、おいしいあんずボー。
  あんず果肉たっぷり入り。 

と書いてある。

顔がニヤける。






あー、そういうことか。

あんずちゃん、疑ってしまってごめんよ。

このことを“楽しい召し上がり方”と言っていたのだね。

あぁ、私としたことが・・・大人げない。




普段はサワーのような、甘い系のお酒は呑まないのだが、

あんずちゃんを疑った詫びと、あんずちゃんの笑顔にほだされて

1袋購入を決める。

というか、“楽しい召し上がり方”を体験したいのだ。



今夜の1杯が決まった。






小さな店内を、鮮魚コーナー目指して急ぐ。

お刺身のショーケースを覗くと、様々な魚の短冊がパックに入り、

綺麗に並べられていた。


私は、魚料理の中では、お刺身が一番好き。

煮たのも焼いたのも好きではあるが、お刺身にはかなわない。

好きなものはいろいろあるが、サーモンとカツオは特に好き。

あまりのカツオ好きのため、年に2回、初鰹と戻り鰹の時期に、

バイクを走らせ、高知の土佐まで行っていたほどだ。

我ながら、食に対する行動力、アッパレである。







見ると、サーモンはあるが、鰹がない。

「すいませーん。今日、鰹はないんですか?」


魚屋の大将が出てきて、

「おっ!あるよ!今からさばくからちょっと待っててよー」

と言ってくれた。


良かった。


しばらくして、10パックほどの初鰹の刺身パックが出てきた。

吟味してカゴにしまう。

“サーモンをアボガドとわさび醤油と和えて、
 
 イカをオクラと一緒にだし醤油で・・・”

と、頭の中で生魚レシピを妄想しながらカゴに入れる。







レジに向かう途中、酒コーナーを横切った時に、ふと気づく。




“うちの焼酎って芋ばっかりだけど、サワーに芋って合うものか?”




いやいや、やはり麦だろう、と酒コーナーの棚を覗く。

正直、焼酎は普段芋ばかりで、麦に対する知識がない。

しかも小さなスーパーの酒コーナーなので、品数もしれている。

よく分からないが、

“佐賀麦焼酎 黒泉山”

なるものに決めた。

黒麹ならではの奥深い味わいという商品説明に惹かれたからだ。


Mariaの【笑う門には福来る】






よし、とレジに並ぶ。

2人前に、マユちゃんが居た。

マユちゃんの手には、あんずボーがしっかりと握られている。





“あっ、マユちゃん、あんずボー受け入れたんだ”

と心なしか、ホッとする。





支払いを済ませ、奥の台にカゴを置く。

隣にはマユちゃん親子だ。

購入した食材を袋に詰めてゆく。





するとマユちゃん。

これが食べたいとあんずボーの袋をママに差し出す。

ママが、ご飯まえはダメなの!とそれを制止する。

納得のいかないマユちゃんは、力ずくで袋を開けにかかる。

袋を激しくぶんぶんと振り、どうやれば袋が開くのか模索している模様。





“人間ってスゴイ。カベにぶつかったら、

 それを解決する方法を模索するのだから”





マユちゃん、エラいぞとエールを送る。





と、その時、マユちゃんの振った袋が私の手にバシッと当たる。

ここで、マユちゃんママのカミナリが落ちた。

「マユちゃん!食べ物をそうしたらダメって言ってるでしょ!

 お姉さんにあやまりなさい!」

マユちゃんが、ションボリする。


いえいえ、だいじょうぶですよ、とママに声を掛け、

だいじょうぶだからね、とマユちゃんの肩を軽く叩いた。






というか、一気に有頂天だ。

聞きました?“お姉さん”ですと!“お姉さん”!

イヤッホーッ!!!

とウキウキしてしまう。

ションボリマユちゃんとは対照的に。




見かねたママが、「じゃぁ1本だけだからね」と大きな袋を開け、

中の1本のあんずボーをマユちゃんに渡した。

マユちゃんの表情がパッと明るくなる。






と、その時、事件が起きた。






あろうことか、若干ウキウキしたマユちゃんが、

両手であんずボーを引っ張ったのだ。

次の瞬間、あたり一面にあんずボーがバシャッと飛び散る。






マユちゃんっ!と叫ぶママと、

泣き叫ぶマユちゃん。






小さなスーパーは一瞬、騒然となった。








家に戻り、冷凍庫に入れるが為、中のあんずボーをすべて出す。

細いあんずボーのパッケージの横に、

 [Magic Cut!
 こちら側のどこからでも切れます!]

の文字。

マユちゃんは字が読めないし、マユちゃんママが幼年の頃は、

Magic Cut!なんて技法はなかったのだろう。

致し方ない、マユちゃん親子ガンバレとつぶやきつつ、

飛び散ったあんずボーが付いた服を洗面所で洗う。






1時間ほどして、冷凍庫のあんずボーが硬くなった。

ニマニマとつまみ類を机に並べる。

アボカドとサーモンのわさび醤油和えと、

Mariaの【笑う門には福来る】



初鰹の刺身

Mariaの【笑う門には福来る】



焼きそら豆

Mariaの【笑う門には福来る】


の3品だ。


切って、和えて、焼いただけの、とても料理とは言えないしろもの。

いいの、いいの、私だけなんだからと自分を慰める。



そして、出ました、

“あんずサワー”

Mariaの【笑う門には福来る】





マドラーでかき回すと、あんずボーがハラハラと形を崩し、

あんずの液体は酒に溶け込み、果肉は底へと沈んでいく。

Mariaの【笑う門には福来る】









ゴクリと一口いただく。

想像以上に美味しい!

甘すぎることもなく、すっぱすぎることもない。

物足りないと思う人もいるかもしれないが、私にはちょうど良い風味だ。

ゴクリゴクリと、酒が進む。


ゴクリゴクリ


ゴクリゴクリ


ゴクゴクゴクゴク

 
ゴクゴクゴクゴク、ゴクゴクゴクゴク


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冷凍したあんずボーはあっと言う間になくなってしまった。

余韻に浸りながら、ふと、あんずボーが入っていた袋を見る。







「当社は、あんずボーの元祖として好評を博して居ります。
 他社の類似品にご注意ください。」









「・・・。」









えっ?

あんずボーって、類似品が出回っているの?