呼ばれたところに行く | 郡山 アトリエさくらいろ 名前は生まれてくるとき自分でつけてきています

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このアトリエは子どもたちと子どもだった人たちの集い合う場です。
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呼ばれたところに行く。
 小学校5年生の頃。私は今の身長166センチ。周りとは違う。男の子から、からかわれて、女の子からは変な目で見られてるような気がして、心も体も猫背になっていた。

 そんな時の担任の先生、小泉先生。
ある日、「放課後、みっちゃん、こっちゃ来」←こっちおいで の、ふくすま弁

 私は呼ばれたところに行ってみた。
「みっちゃんは何でもできるよ。」
小泉先生は毎朝私を迎えに来ると言った。先生は赤いオープンカーで迎えに行くからと言うもんだから、わたしはドギマギして待ち合わせ場所で立って待っていた。
 ギーコギコと言う音に振り返ってみると、先生は錆びた赤い自転車に乗ってやってきた。先生のオープンカーは自転車だった。私は『巨人の星の』花形満くんのような赤いオープンカーで来るんじゃないかなと思ってたのに、全く違った。
 私は当時自転車に乗るのも怖くて、自転車から乗ることも離れていた。先生は自転車に乗れたら遠くまで行けるよと言って、毎朝私と自転車に乗れる練習をした。学校に行く前の朝早くの時間帯。
 小学校の低学年の頃、自転車に乗っていて転んで大怪我をしてそれ以来乗ってなかった。
 自転車は遠くまで行ける。自転車は君の世界を広げるよと言って、私を自転車にもう一度乗せてくれる世界を見せてくれた。あっという間に乗れるようになって、自分でも驚いた。

 今計算すると先生はその頃40代なんだけど、頭はバーコード状態、金歯がピカピカ。いつも緑色で白いラインの入ったジャージを着て明るいニコニコ笑う先生だった。授業も面白くて、ユーモアがあって叱る時にも、どこかその子を救うような希望というか、明日から頑張れそうな。そんな叱り方をする先生だった。そうして先生との不思議な二人三脚が始まった。
 
またまた「こっちゃ来」
 放課後の校庭で走り幅跳びをした。人より身長も20センチ高い。当然足も長い。私は確かに記録が出た。陸上交換会のメンバーになってるからみっちゃんは今日からここで練習するよと言われて、私は「はい」と答えて、素直に練習をした。身長の高い私は入場更新の時もプラカード持ちをやることになった。私の身長は入場更新の時にもぽこっと頭1つ出ちゃうけれど、プラカード持ちだったら大丈夫。緊張したけど、両方の手をしっかり伸ばしてプラカードを持って入場行進した。賞状をもらってまたまた驚いた。
 すると、今度はプールで待ってると言われた。夏休みに入った日だった。私は泳ぐのも嫌いだった。先生はこう言った。「教育テレビで木原美智子の水泳教室」と言うテレビ番組を見て、その後ここにおいで。テレビで見たことをここでやるんだよと言われた。私はまた素直に30分のテレビ番組を見て、今日は蹴伸び。今日は面かぶり。今日は呼吸と言って5日間でクロールが泳げるようになった。先生はこういった。夏休み明けの水泳交換会のメンバーにしてあるから毎日これからプールで練習だよと言った。飛び込みも怖かっただけど、選手になった以上やらなきゃと思って、練習したら飛び込みもできるようになった。やっぱり私は人よりでかいから人がもでかい。そしてその夏休み終わる頃には、大人の50メートルプールに入れる記録会みたいなのにもトライできて、大人用の深い50メートルプールに入るワッペンももらえた。

 秋が来た。先生がまた「みっちゃんこっち」と言った。私は体育館に向かった。バレーボールにネットが貼ってあった。先生はなんとバレーボールのスポーツ少年団を立ち上げていた。私は球技も大嫌いだった。私これやるの?と言った。
 「みっちゃんはネットの前で手を挙げてればいいんだよ。そして相手のサーブの時にもしできるならサーブをポンと向こうのコートに返すだけでいいんだよ。他の何もしなくていいから」
当時は9人制のバレーボールでサービスの時にいきなりブロックで返しても良いルールだった。私が、試合の時にネットの前で手を伸ばしているだけで、相手チームは私を避けるようにサービスをするから、天井に高く登るサービスをする。そうするとみんなは取りやすいボールがポンと来るから、あっという間に試合が勝てた。その頃、私は自分の身長を生かすことってすごいんだと思った。
 そして私は大きくなったら学校の先生になろうと決めた。小泉先生みたいにその人の持ってる力を見出して伸ばしてくれる。そんな先生になりたいって思った。
 当時の先生は多分今計算すると40代その先生のおかげで、私は学校の先生になって思えた

 今でも、「みっちゃんこっちゃこ」と小泉先生の言葉を思い出す。こっちゃこと言うのはこっちにおいでという意味。先生は片手をまっすぐ上げて手だけおいで。おいでをする。私はその呼ばれたところに素直に向かう。何の疑問も持たず。「はい」
 それがなかったら、私は教員にもなってないし、今の夫とも出会えてない。中学校高校と教員をしていた約25年の間に知り合った人たちとも出会ってない。そう思うと、私はあの時素直にこっちにおいでと言われて進んだ自分をすごいと思う。きっと私を呼ぶ声が呼んでるんだと思う。これからもそして私は素直にその一歩を信じてこれからも進んでいくんだと思う

おしまい





長文お読みくださりありがとうございました😊