田中角栄が「憲法9条」を盾にベトナム戦争への派兵要請を断っていた
デイリー新潮  週刊新潮 2019年6月20日号掲載

 

 ロッキード事件の背景に「アメリカの陰謀」があったかどうかはさておき、彼の国にとって“扱いづらい”存在だったことは間違いない。泥沼化するベトナム戦争への派兵要請を断った田中角栄元総理。その際、“盾”として使ったのは「憲法9条」だった――。 

 

 

 令和の世の政治を巡る難題の一つは、ご存じのように「ポスト安倍」が見当たらないことである。 

 

 

「角栄さんがいた時代とは大違いですね。当時の自民党には、“三角大福中”と言われたように実力者がたくさんいたため、国民には、誰かがつぶれても次の誰かが出てくる、という安心感がありました」

 そう語るのは、政治評論家の小林吉弥氏。 
 
「今、見渡しても先見性のある政治家がいないのも心配です。角栄さんは昭和40年代の初めから“日本の借金は1千億円を超えるだろう”と予想していました。今の時代に10年後20年後を見据えて、この国の財政状況がどうなるかを言える人はいません」 
 

 

 一方、昨年末、当時の天皇陛下が「平成という時代が戦争のない30年間となって良かった」との平和への思いを話されたのを聞いて、角栄の言葉を思い出したと言うのは、新潟日報社の小田敏三社長だ。
「角栄は、自民党の二階俊博幹事長など、1980年代に初当選した議員たちに次のように話していました。『戦争を体験した世代が政治の中心にいる時代は、平和について議論する必要すらない。いずれ戦争を知らない世代が、政治の中枢を占める時代が来るのが怖い』と……」

 高等小学校卒ながら自らの才覚と器量で国権の頂点を極めた今太閤。あるいは、金脈批判で総理の職を辞し、ロッキード事件で逮捕された悲劇の主。角栄についてはそうした部分が取り上げられることが多いが、
「角栄が、リアリズムを第一とした平和主義を貫く人物だったということは、あまり光が当てられてこなかった側面です」

 と、小田社長は語る。 
 

 

「70年代に入り、アメリカから日本に対してベトナム戦争派兵への圧力が強まった時、総理だった角栄は『どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない』と答えたと、当時の官僚から聞いたことがあります」
 その官僚が“アメリカからの強い要請がある”と食い下がると、

「角栄は『そういう時には、憲法9条を使えばいい』と返したそうです。アメリカが日本に押し付けた憲法を逆手に取って、日本が派兵しない理由に使うというのは、リアリストの角栄らしい理論だと思います」 
 

 

 憲法9条を巡る知られざるエピソードは他にもある。
「総理になる前、ジョン・F・ケネディ大統領の実弟で司法長官を務めたロバート・ケネディから9条改正を持ち掛けられたことがあった。その時、角栄は『日本は憲法9条を国民に定着させて平和国家を目指そうとしている。それをアメリカが変えようとするなら、日本国民に一言断りがあってもいいのではないか』と答えたと言います」(同)
 アメリカに対しても決して尻尾を振らず、毅然とした態度で臨む。さすがは角栄と言いたいところだが、心配が先にたつ。どこかで彼の国の“地雷”を踏みはしなかったか、と……。

=== デイリー新潮 記事(ここまで)===

以下、文責:マリヤ・マグダレナ

 安倍晋三というお方、自民党総裁ですが、田中角栄さんとは雲泥の差があります。トランプ大統領に相撲を見せたり、ゴルフをしたり、言い値でF-35やイージス・アショアを買ったりと、幇間外交に余念がありません。
 誰が言ったか、ご自分で拡散したのか、『外交の安倍』なるインチキ看板を何も知らないお年寄りや若者に見せています。実態は『外交の安倍』などという看板とは大違い。日本国民の血税を湯水のごとくばら撒いて各国の歓心を買う『援助交際外交』です。
 田中角栄総理は『どんな要請があっても、日本は一兵卒たりとも戦場には派遣しない』と憲法9条を盾にアメリカを撃退して、日本国民の命を守りました。
 さて、安倍晋三首相殿がどうでしょう? 憲法9条を変えて日本を戦争のできる国にしようとしています。『戦争を体験した世代が政治の中心にいる時代は、平和について議論する必要すらない。いずれ戦争を知らない世代が、政治の中枢を占める時代が来るのが怖い』と言った田中角栄さんの言葉のとおりになっています。