延命拒否し恋も卒業…秋野暢子62歳で終活宣言という生き方
日刊ゲンダイDIGITAL 2019/02/13
 

秋野暢子(C)日刊ゲンダイ
 
 女優、秋野暢子(62)のシングルライフが話題になっている。還暦を機に「日本尊厳死協会」に入会し、治る見込みのない病気などになったとき、延命措置をせず、自然死を選択する意思を公表し話題になったばかり。さらに大相撲初場所の千秋楽を同年代とおぼしき男性とデート観戦していたと「女性自身」に報じられた。都内自宅前での同誌直撃取材にはこんな胸中を語っている。
「私、男の人はもういいんです。明るく元気に残りの人生を楽しめれば十分です。再婚は、もうないかな……」
 デートのお相手は家族ぐるみで付き合いのある医師で既婚者であるとし、「男女の関係ではありませんよ」と笑って一蹴したそうだ。
 秋野は民放プロデューサーだった夫と2001年に離婚。シングルマザーとなり、長女(25)を育て上げた。5歳年下の実業家の男性と事実婚同然の暮らしをしていたこともあったそうだが、それも破局したと2014年に告白。延命拒否に断捨離などの終活の上、恋路からの卒業宣言には「どちらもちょっと早いんじゃないか」との声もあるそうだが、これらは人生から降りたからではなく、前向きに生きるためなのだそうだ。ベテラン芸能記者の青山佳裕氏が言う。
「尊厳死協会への入会は、娘さんに迷惑をかけたくないという母心から。シングルであるということも、この決断につながったと明かされています。大相撲デートを楽しまれたお相手は髪をオールバックにした渋いミドルで、岩井俊二監督にどこか雰囲気が似ている。男女の関係ではないということですけど、いい雰囲気でしたし、秋野さんは魅力的でした。『まだまだ人生を楽しみたい』とご本人はお話しされています」
 現在の生きがいとして、秋野が取り組んでいるのは、被災地の復興支援やボランティア活動
「私はこれまでの人生、人さまにたくさんお世話になったので、少しでも社会に還元したい」との思いからだという。
「そのためにも、毎朝のジョギングを日課にしたり、特技の水泳などで、アクティブに過ごされている。仕事が中心だった時代からのシフトチェンジがとてもお上手に見えます。約170センチの長身は背筋がシャンとして、すてきなんです」(前出の青山氏)
 終活はブームのようになっているが、どちらかというと女性の方が積極的らしい。芸能人でも財前直見(53)、山本陽子(76)らのように東京を離れてのシングルライフを明らかにしている者もいる。子どもがいれば、頼りにしたい。育ててやったのだから当然と思いがちだが、秋野らが実践しているのは、最期まで自立した生き方。立つ鳥跡を濁さずが、中高年の目指すべき現代のスタイルなのだろう
 
=== 日刊ゲンダイDIGITAL 記事(ここまで)===
 
以下、文責:マリア・マグダレナ
 
 秋野暢子さんのような生き方もありかなと思いました。生きがいとして取り組んでいるが、「被災地の復興支援やボランティア活動」というのにとても好感が持てます。
 わたしは神仏無精ですが、 秋野暢子さんのボランティア活動は大乗仏教の六波羅蜜の布施波羅蜜かなと思いました。迷いの世界から悟りの世界へ至る修行で徳を積み、悟りの彼岸に至ることができるよう、応援したいと思います。
 

波羅蜜 wiki抜粋
 
波羅蜜(はらみつ、パーリ語: पारमि、Pāramī、 パーラミー、サンスクリット語: पारमिता、Pāramitā、 パーラミター)とは、仏教において迷いの世界から悟りの世界へ至ること、および、そのために菩薩が行う修行のこと。到彼岸(とうひがん)、度(ど)、玄奘以降の新訳では[要出典]波羅蜜多(はらみった)などとも訳す。六波羅蜜と十波羅蜜があり、大乗仏教では実践を六波羅蜜にまとめている。
語源
サンスクリット文法による語源的解釈では、Pāramitā を、"pāramī"(「最高の」を意味する "parama" の女性形)+ "-tā"(抽象名詞をつくる接尾辞)と分解し、「最高であること」、「完全であること」とされる。しかし中国およびチベットなどの北伝仏教の伝統的な解釈では、これを"pāram"(彼方、"pāra" の 業格)+ "ita"(動詞 "i" 行くの過去分詞女性形)と読み、「彼方に行った」すなわち此岸(迷い)から彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である。例えば、漢語訳における「度(ど)」、「到(とう)彼岸」などの訳語や、チベット語訳の「パロルトゥ・チンパ」(pha rol tu phyin pa)も「パロルトゥ」(pha rol tu)が「pāram」、「チンパ」(phyin pa)が「itā」に相当する語である。
 
上座部仏教
 
パーリ仏典の仏種姓経では十波羅蜜が挙げられ、布施、持戒、出離(Nekkhamma)、智慧、精進、忍辱、真諦(Sacca)、決意(Adhiṭṭhāna)、慈(Mettā)、捨(Upekkha)である。
 
大乗仏教
 
六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ、梵:Ṣatpāramitā)とは、大乗仏教で説く悟りの彼岸に至るための6つの修行徳目。六度彼岸(ろくどひがん)や六度とも呼ばれる。
1、布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。dānaという単語は英語のdonation、givingに相当する。具体的には、財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。檀と略す場合もある。
2、持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
3、忍辱(にんにく)波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
4、精進波羅蜜 - 精進毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
5、禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
6、般若波羅蜜 - 慧(え、Prajñā プラジュニャー)は、慧波羅蜜とも呼ばれ、十波羅蜜の智波羅蜜とは区別される[4]。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための階梯であるとともに、般若波羅蜜を希求することによって調御、成就される。
 
龍樹は『宝行王正論』においてこの6項目を以下の3つのカテゴリーに分けて解説している。
布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」
龍樹によれば、釈迦の教えとは要約すれば「自利・利他・解脱」の3つに尽き、「自利・利他・解脱」はすべて六波羅蜜によって包摂されるため、阿含経に根拠を持たない大乗独自のこれら六波羅蜜も仏説であるという。