15.05.26
このメルマガを読んだら夏目漱石を読み直したくなりました。
孫崎享さんのメルマガです。
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『日米開戦の正体』で、私は次のように書きました。引用します。
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夏目漱石は『それから』で日本を牛と競争する蛙に例えて「もう腹が裂けるよ」と書いています
小説家は人間の真実を追求していますが、彼らが社会現象に目を向けた時、社会学者より、端的に真実を指摘することがあります。
夏目漱石がそうです。
夏目漱石は『それから』(1909年著)で、日露戦争後の日本を実に見事に描写しています。
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「大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとしている。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」
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夏目漱石が日本の将来に厳しい目を向けていたのは『それから』だけではありません。『三四郎』(1908年作)にもあります。主人公、小川三四郎が熊本の高等学校(第五高等学校)を卒業し、大学(東京帝国大学)に入学するために上京する時、車中での出来事を書いています。
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「髭の男は「いくら日露戦争に勝って、一等国になっでも駄目ですね。・・・・・
(三四郎は)「しかしこれからは日本も段々と発展するでしょう」と弁解した。するとかの男はすましたもので、「亡びるね」といった。
熊本でこんなことを口に出せばすぐ擲ぐられる。わるくすると国賊扱いにされる」
多分、三四郎の「亡びるね」をもっと丁寧に説明する必要があると判断して、『それから』にかきこんだのでしょう。
私は今、「真珠湾攻撃が何故起こったか」を勉強していますが、その萌芽はすでに日露戦争での“勝利”から始まっていると思います。
日本は日露戦争で、世界の一流国のロシアと戦いました。
しかし、それは日本の国力でできない戦いでした。後、詳しく見ますが年間の予算の8倍もの戦費を使い、その8割を外国からの借金でした。一等国の「間口」を張りましたが、まだ一等国でないものが間口だけ広げたものですから、当然破綻します。
「牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」、まさに、日露戦争から真珠湾攻撃への道の本質です。
でも、何故、漱石が日本を客観的にみられたのでしょうか。
多分、漱石は日本社会の論理だけに浸っていたのでないことにあるのでない《でしょうか。外国の文献に目を通しています。何よりも英国に留学(1901年から02年)し、外国人の芽で日本を客観的に見ることが出来たからでないでしょうか。
逆にいうと、真珠湾にいく過程で、戦争の相手となる英米を知っている人は枢要なポストにはほとんどいませんでした。
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