一昨年6月に世界遺産に登録された 群馬県の富岡製糸場へ。
正確には この建物だけじゃなくて、この地域 伊勢崎市 藤岡市 下仁田町にまたがる養蚕関連の文化財をまとめて登録されている。
群馬県内では昔から養蚕業 製糸業が盛んだったのだ。
明治3年に明治政府が近代国家設立のために、ヨーロッパの技術を導入して本格的な製糸工場を作ろうと計画。当時は生糸は需要が高くて外貨獲得のための重要な輸出品だったのだとか。
フランスの技術者を招いて 全国から女工を募ってできたのが富岡製糸場。
明治5年に操業してからは日本各地に、この富岡製糸場に倣った工場ができて、ここで技術を習得した人たちが故郷へ帰って製糸業で活躍するようにもなった。・
関西からだと 新幹線で東京経由で行った方が近いんだと思うが、今回はツアーバスなので、名古屋経由中央線で塩尻まで行って そこから中央道上信越道を通って富岡インターチェンジまで。遠い遠い。
およそ16000坪の敷地の正面入り口を入ると煉瓦の建物がどーんと現れる。
約104メートルある東西2つの 繭を保管する「置き繭所」と、
140メートルもある「操糸所」この三つが大きなコの字になって建っている。
オレンジの煉瓦が今もとても美しい。
木骨煉瓦作りという特徴的な工法で
骨組みは木造、壁は「フランス積み」の煉瓦壁、西洋建築なのに、屋根だけは日本の瓦で葺かれていて煉瓦積みの目地には白い漆喰。つまり和洋折衷。
東西の置き繭所は1Fが事務所で2Fに乾燥させた繭を貯蔵。この置き繭所、国宝なんだけど、東置き繭所の中はパネル展示やガイダンス映像のコーナーがあって、自由に出入りできる。国宝なのに。
そして2つの繭の倉庫をつないでいるのが躁糸所。
操業停止した時の機械がそのまま置いてある。
フランス式の操糸器、300釜が設置されて当時は世界最大の製糸工場だったんだとか。
建物の中央に柱のない建築工法で、それも当時の日本にはなかったモノなんだけど、おかげで空間が広くて窓もたくさんあって、中が凄く明るい。
これが意外だった。
というのは、糸を取る女工というと、「女工哀史」という言葉を思い浮かべてしまうから。
映画「野麦峠」の世界。
明治~大正時代、信州へ糸ひき稼ぎに行った飛騨の若い娘達が吹雪の中を命がけで通った野麦街道の難所、標高1672mの野麦峠。
10代前半の少女たちがこの峠を越えて諏訪の製糸工場へと向かい、故郷に帰る暮れには降りしきる雪の中峠を越えられなくて死んでいった、いわば飛騨のおしんの物語。
大竹しのぶさん主演の映画を思い出す。
実はこの富岡製糸場では労働環境は充実していて、当時としては先進的な七曜制の導入と日曜休み、年末年始と夏期の10日ずつの休暇[ 1日8時間労働で、食費・寮費・医療費などは製糸場持ち。
でも、たとえそうだとしても慣れない土地でいろんなストレスもあったんだろうなぁと、ちょっと想像してしまうのだ。
400人もいた女工さんたちにはどんなドラマがあったのかな、と。