吾輩は、犬である。
名前はマッダーナイト。
茜の騎士だ。

我が茜姫は、最近淡いピンクと白のツートンカラーの車を手に入れた。
何年か前にCMでその軽自動車に一目惚れをしたが、とても新車を買える収入ではなく泣く泣く諦めたのだという。
それが、偶然通りかかった中古車センターで再会。
お店の方が頑張って価格の勉強をしてくれ、茜姫が頑張って奮発したことで、その可愛いデザインの車が我が家にやってきた。
茜姫はちょっぴり機嫌がいい。

今日は同僚のカワサキさんと田中さんの3人+吾輩で六甲山ドライブに来ている。

田中さんは、若くて美人のWebデザイナーさんだ。茜とカワサキさんと同じ会社で働いていたが、辞めてフリーランスになっている。
働く場所は変わっても、気の合う3人は時々こうして出掛けている。

六甲山は兵庫県の南東部、神戸市街の北側にそびえる山で、様々な観光スポットや瀬戸内海の眺望を楽しめる展望台もある。ドライブルートも充実しているのでデートで訪れる人も多い。


田中さんが恋人と一千万ドルの夜景を見ながら愛を語ったと嬉しそうに話すと、カワサキさんが私も若い頃にと話を受ける。
そんな話に相槌を打ちながら、茜は淀みなく運転していた。
運動が得意ではない茜だがハンドルさばきは意外と上手い。吾輩は窓を開けてもらい、毛並みを揺らしながら少し外に出した鼻に風が当たるのを楽しんだ。


山上にあるレストランでランチをし、六甲山ガーデンテラスを散策して、カフェでお茶をしていると、いつの間にか夕刻になっていた。

夕焼けを見ながら田中さんが何かを思い出したように小さく声をあげた。

カワサキさんがいち早く事情を聞くと、
六甲山の麓、芦屋にある会社に行く約束をしていたという。せっかく近くにドライブに行くのだから、ついでに営業をしようと画策したのだ。忘れていては元も子もない。

茜が素早くカーナビで設定してみたが、とても間に合いそうもない。
田中さんは悄げてしまった。

「とにかく急いで行こ」
急なカーブが続く道を速度を上げて下っていく。

「やっぱり無理そう。ごめん」
トンネルに差し掛かった時に茜が田中さんに声をかけた。
「ううん。こっちこそ、急がせてごめん」

トンネルの中も曲がりくねっている。揺れる車の中で吾輩も大人しく座り、申し訳無さそうな表情の茜を見ていた。

トンネルの出口が見えた時、急に茜の顔色が変わった。恐怖と驚きが入り混じった顔つき。

カワサキさんが茜を見る。
「須藤さん、あの…」
言いかけてやめる。

「うん。後で、話すわ」
茜が応える。

さっきから茜の運転が荒い。いや、荒いわけではなくハンドルの切り方もブレーキのタイミングも茜らしくない。

なんだ? この変な会話、変な感じ。
カワサキさんの目線が時々茜の手元にうつる。

吾輩も茜の手元に目線を向ける。茜が握っているハンドルに、もうひとつぼんやりと白い手が見えるのは気のせいだろうか。

信号に差し掛かり、ほとんどの車が直進か右折をしている交差点で、車は左に曲がった。ナビは直進のルートを示している。

「あれ? こっちでいいの?」
田中さんがのんきな声で茜に聞き、なぜかカワサキさんが応える。
「そうみたいやね」

話をしていると舌を噛みそうな程の悪路を突き進む。しかも狭くて曲がりくねっている。
茜の引きつった顔を、田中さんは必死で運転しているからと思っているようだ。

白い手がさっきより明瞭に見える。

吾輩が恐怖で鳴き声をあげ、舌を噛みそうになった時、急に大通りに出た。

白い手がふっと消えた。

「すごい。間にあった」
田中さんが嬉しそうな声で言った。
カーナビが目的地に到着しました、と音声を流した。

田中さんを降ろし、そのままの場所で車を停め、茜が大きく息をする。

「田中さんとよく似た若い女の子が須藤ちゃんの上に重なってたわ」
カワサキさんの言葉に茜がうなづく。

「車、勝手に動いてた。ハンドルもアクセルも。」

「近道通って間に合うよう運転してくれたんやね。ありがとう」
茜が言うと、目の前に若い美人の女の子が現れた。
ミニのスカートから伸びた足が途中で消えてしまっている。
ニッコリ笑うと軽く会釈をして消えた。