今朝の虎子
今朝の朝ドラで虎子は、久しぶりに吠えましたね~
はて❔
となった方、多いかな?
私もそのひとりです🎵が、興味深く拝見しました。
恩師である穂高先生の最高判事退任式での「出涸らし」挨拶の中身に納得がいかず、一筋の悔し涙を流す虎子。
贈るはずだった花束💐を放棄して会場を飛び出してやがて穂高に、、吠えます。
何が気に入らないのか困惑して
「謝ってもだめ、
反省してもだめ、
じゃあ、私はどうすればいい?
」
と、虎子に問う穂高先生が、小林薫さんのお芝居が実に❗️可愛らしい(笑)
虎子は、笑ってなどいません。
すごい剣幕で
吠えます。
「どうすることも
てきませんよ~~~」
この吠えが、また、実にスカッとするのも確かです。
多分、ですが、
私の見立てはこうです。
虎子は、穂高にそうであって欲しかった!という自分の理想を恩師に追い求めたかった、のではないでしょうか。
しかし、
本当の、目の前の現実の穂高が「素」を吐露して勇退していく挨拶がショックだったのではないかな、楽しい推測。
穂高が人間的な親しみで語るよりも常に理想に向かって走る姿のほうが虎子には、まだ今後の虎子にとって向かい風へのエネルギーになる、ということを脚本家は伝えたかったのかなぁ。
師と生徒、という関係は不思議な関係ですね。
そもそも
師はいつまでも師であり続けることができるのでしょうか?
ある程度の時間を経れば、師を生徒が越えることもあるからです。越えるとは、力量であり、技術です。そして最も発見することは、師匠と生徒の個性や考え方の違いでしょう。
また自然の摂理として師は生徒より早く老います。
老いた姿の師は、親の姿にも似ていますね。
師も親も生徒や子供に、何を教え伝えていくのでしょう。
ゼロから教わり、面倒見ていただいて一人前になった時に、ふと振り返った時にそこに浮かぶのが踏ん張る己の姿なのか、それとも、踏ん張る己の下にいつも応援してくれていた親や先生の姿なのか、で「人の徳」は変わりますね。
「先に生きる」と書いて「先生」と読むように生き様を通して生徒や子供に「考えさせる」ことを与えてくれる親や師匠には、決して越えられない恩が膨大にありますね。だから技術や力量が勝っても勝てない恩という徳があります。
今朝の虎子に言いたいです。
虎子や、虎子、
あなたは若い
あなたは妥協を許さない
あなたはまだ理想を捨てたりしない
やがて
あなたもまた、次の世代の人からは、理解されない季節を迎える時に穂高先生のことを懐かしむだろう
そのときにさえ、あなたは理想は捨てていなくても若い世代があなたの中にキラキラした「理想」を見つけてくれるだろうか
穂高先生だって
勇退の挨拶では理想を捨てたように見えたかもしれないが、真相はわからないよ
誰にも
だからさ、
花束くらい、
感謝で、微笑んで贈ろうよ🎵