ドラマ「日本沈没」 | 岡部まり オフィシャルブログ Powered by Ameba

ドラマ「日本沈没」


ドラマ「日本沈没」を今頃、見て😅日本列島🗾が沈んでいくシーンを見て畏れおののいています。
ドラマだし、
CGだし、
とわかっていても
畏れないわけにはいきません。
温暖化も感染症も
ドラマを構成するエピソードは架空の絵空事ではないからです。
むしろ、
なぜ、いま、また、
70年代の原作を脚色して
日本が沈没するシーンを見ることになっているのだろう。
70年代から比べれば、
世界は小さくなりました。
面積ではありません。
情報の世界です。
小さく、とは、速さであり、
インターネットの世界では、
今や我々は、この手のなかで、いや、指先であたかも世界を知ったかのような錯覚に陥るこたが出来るようになりました😅
しかし、
なにをわかってきたのでしょうね、
このドラマが伝える最も重要なことは、、
指も
手も
そんな我々の身体も心も
そして人生も
過去も歴史も未来も
日本、という「国土」あってのものだったという
「足下」を照らしたことだと個人的には、想いました。
主人公、天海の母親が町の人たちと集団で異国へ旅立つ日のシーンがあります。
まるで1泊旅行にでも行くようなバス🚌の中でしたが、やがて、窓から見える海岸線が写し出されます。
それは、日本中どこにでもあるような海の風景なのですが、
皆は、無口になり、
その、
見慣れた海を愛おしく見つめるのです。
離れて
2度と見れない海の風景は、どんな美しい海よりも美しく見えたことでしょう。

世界中に海はあるのですが、
そこから眺める海は、
多分、
「そこから」しかないのでしょう。
海の厳しさと恵みのお陰で日々の営みを許されてきた人々の、海への愛がそこには、描かれています。
映画なら長々と描けたことでしょうね😅
東日本大震災では、そんな人々が数えきれないほどいらっしゃったのだなあ、と想いました。
このシーンを万感の想いでご覧になったのではないでしょうか。
日本に限らず、
地球🌎️は我々の大切な「ふるさと」です。
そんな、あたりまえのことを、
わざわざ、感謝しなくてはならない危機溢れる時代を迎えています。
希望の人、
がサブタイトルでした。
主人公は、スーパーヒーローではなく、恐れを畏れに代えて自分の中から見出だした「希望の光」からのみ、他者にも与え得る光だと想える実の有る人でした。
難しい役柄と拝しました。