90からの純愛
長崎の父は、この8月で94歳の誕生日を迎えました。
父自身も
私も姉も
誠に驚く👀‼️しっかりした94歳なのです。
足腰は弱ったものの、数字や他の記憶力も尊敬に値する健在ぶりです。
そんな父ですが、ここにくるまでの80代の時の方が、、
本人もまわりも
大丈夫かな?と想うような問題も、小さいことばかりですが、それなりに有りました。
今、振り返れば、どの家庭にも起こっているであろう、ことぼかりであることがわかります❗
しかし、
これもまた、どのご家庭の方も想われるのでしょうか、
我が家はなんて、たいへんな家族なんだ👀💨💨
とね(笑)
父と母の80代は、老化症状顕著になった頃だったのです。
これもまた、わからなかったのです。
父母は、よく言っていました。
「叶うならピンコロで」
これは、有名な言葉ですね。
ピンピンと生きて
コロリと死にたい
という理想的な往生を表現したもの。
しかし、現実は、
ピンピンとコロリの間に
「ヨロヨロ」期があり、その後
「ドタ」期が訪れて「コロリ」までを生き抜いていかなけれぱならない、らしいです。
さて
我が家の父も母もやはり、
ヨロヨロ期を迎えています。
いえ、
母はすでに「ドタ」期なのかもしれません。
私たちは、
同居していなかったこともあり、たまに再会すると父母ともに当たり前ですが、父母らしく、常に上から与えようという気概があり、しかし、その気概も老化により、ままならぬ現実に本人たちもまた、私たちも認識するには至らず、ただ、チグハグな、トンチンカンなやり取りに戸惑い、腹を立てていたように想います。
そんなことを経ながら段々ヨロヨロ期を認識し、話し合い、父母ともに姉家族の近くに転居🏠️💨して
2年前に母が脳梗塞になり、父母は近いのですが、違う施設に入居させていただいて現在は穏やかに過ごさせていただいています。
父母は、90代にして離ればなれになり、さみしがり屋の父の胸中を想うと姉も私も度々切ない想いが過りました。
しかし、
我が姉の、激励は明るく、逞しいものがありました。
父が寂しい、と電話すると、
「だれでも さみしかと!」
父の絶句する顔が浮かびます。
それ以上、寂しくさせない力が、この長崎弁にはあります(笑)
以来、この2年間、
父は、母が
寂しくならないように
気晴らしになればと
週に2回から3回のラブレター❤️✉️を書き続けています。
昔のことは憶えているので2人にしかわからない想い出を毎回、綴るそうで母の好きな満州の話など色々交えて書き続けています。
90からの純愛ですね。
そんな健気な祈りにも似た手紙が、最近、素敵な実を結びます。
この2年、テレビも本も関心がなかった母が、本を読みたいので送ってほしい、という意思を施設の方に示したというのです。
子供のように喜び伝えてきた父の声に、、私は泣きました💧
子供にもわからない夫婦愛があり、絆があるものですね。
私は、いい歳なのに、
子供のように
嬉しくなりました。