私は、ダニエル・ブレイク | 岡部まり オフィシャルブログ Powered by Ameba

私は、ダニエル・ブレイク



イギリスの名匠ケン・ローチ監督の映画「私は、ダニエル・ブレイク」を漸く見ました。
カンヌ映画祭の最高賞「パルムドール賞」を獲得した話題は大分前です。
しかし、
偶然かもしれませんが、
コロナ後に見ると
また、かなり、リアリティーが増してきます。
タイトルのダニエル・ブレイクは、この作品の主人公で40年間、実直に大工仕事を続けて税金も真面目に納めてきた59歳の男性です。
心臓病で医師に仕事を止められて役所に手続きに行きます。
窓口には、行政から委託された会社の人が対応します。
要求を速やかに聞き入れてほしいダニエルと先ずはシステムをわからせたい窓口の二者が噛み合いません。

この作品を語るときに
格差社会や貧困問題、など挙げればキリのない現代の社会問題は浮き彫りに出来ますが、それも大事なメッセージだとケン・ローチ監督は述べるでしょう。なにせ、
引退宣言のあとに、敢えてメガホン📣を再び取ってこの作品を仕上げたのですから。

しかし、
私がこの作品を推す最大の魅力は、端的に
「コミュニケーションの映画」として見ることをオススメします。
冒頭の噛み合わない会話から始まり、この映画のコミュニケーションには、いちいち考えさせられます。
もう、誰もが体験して慣れっこになりました、電話の音声ガイダンスや、待たされる間に流れる音楽😅など、その心境は実に共感します。

この映画ではBGMがビバルディの「春」なんだけど😅待たされるダニエルと同様に⁉️イラつきますよー😡

便利な世の中と言われるテクノロジーは、一体、誰にとって便利なんでしょう💦

そうです!この映画は、いかに現代が人と人を結ぶはずの便利なツールが反って不便という副作用を伴っているかをまざまざと教えてくれます。

ダニエルの言動もまた、決して模範的ではないにしても なんといいますか、コミュニケーションに「人間性を慮る余白」がないのです。
この余白、見えないようで見えてきます。
立場を越えて
年齢を越えて
繋がる「思い遣り」が登場人物の眼に、言動に、見えてきます。
この作品で監督が表したかったのは、「人としての尊厳性」。

国や会社や、大きな組織に依存し過ぎずにせめて隣人同士で助け合いながら
笑いと血の通い合ったコミュニケーションをとる暮らしこそが大切だと感じました。