大川小学校 | 岡部まり オフィシャルブログ Powered by Ameba

大川小学校

宮城県石巻市の大川小学校の児童74人が犠牲になった3/11の津波。

高裁は遺族の訴えを認めました。
あれから7年という長い時間が経ちましたね。ご遺族のお気持ちは如何ばかりでしょう。

私は震災後、大川小学校跡をたずねましたが、驚くべきことは北上川河口から小学校に至るまでの道のりが、丁度川に沿うように上流へと車を進めて行くこと、4キロという長い距離なのです。
辺りは、早くから山の風景に入り、よもや津波が海から逆流してくるとは、また、6メートルも7メートルもの高波が襲って来るとは誰も予想していなかったことがわかります。

やがて
川から200メートルほどのどころに大川小学校の可哀想な姿を目の当たりにしました。
お建物の外観だけを残したその様子は、机も椅子も鉛筆も そして人も呑み込んだ津波の恐ろしさを物語っていました。

沢山のお花が手向けられ、
手を合わせる沢山の人々が
そこにいらっしゃいました。

地震から50分ほどの時間があり、
その間の各々の対応が生死を別けた、といいます。
そしてその検証に7年という長い時間が費やされたのですね。
7年。
生まれた赤ちゃんが小学生に成長する時間です。

あの日、校庭で点呼をとる時間、
児童たちは地震や余震に怯えながらも
僅かな大人たちの判断にすべてを委ねていたことでしょう。
そして校庭からすぐに子供でも登れる裏山ではない、逆方向の、川沿いで最も高い堤防を目指す先生と子供たち。
つまり、津波の方向に避難しに進んだのです。

この小学校で起こった事実が明らかにされるとき、危うい時代に生かされる私達に数多の示唆を与えます。
危機管理は、団体にも個人にも不可欠な今の時代となりました。

私は、当時も現場で手を合わせ、祈るしか出来ず、今も変わらず無力なままですが、哀しみを抱えたまま、哀しみに耐えながら、今回の判決を待ちつづけた、すべての方々に
改めて
心からお見舞い申し上げます。
きっと加被害すべての大人たちが子供たちの命を守れなかった悔しさに今も切ない想いを残していらっしゃること拝します。

備えること、日頃から、備えることを教えてくれた小学校です。

読んでいただいて有難うございます。