68回目の平和記念日
昨日は、長崎に原爆が投下された日でした。毎年、平和記念公園で行われる式典を今年は、都合があり、ラジオ放送で聴かせていただきました。
蝉の声と平和宣言の声が響き合って聴こえました。
私は長崎生まれですが、爆心地の長崎市ではなく、南島原市なので距離的には離れた場所で育ちました。
また、母方の実家は長崎でしたが、母は13歳まで満州で生活していたらしく、終戦の前の年に引き揚げてきたそうです。引き揚げを薦めてくださった、祖父の友人とやらは、誠に我が家の恩人でありました。
終戦間近か、その後の引き揚げた方々のお話は筆舌に尽くせぬ御苦労があったそうです。
母方の家族は、原爆が投下された日のことを幼い私や姉に話してくれました。
その日の前に広島に大きな爆弾が落とされたことも知らず、真夏の午前11時過ぎに長崎市で大変なことが起こったことだけは噂で知ったそうです。
今のようにテレビやネットがあるわけじゃなく、ラジオの情報だけが頼りの時代ですから無理もありません。
8/15には、玉音放送とともに終戦を知った母達の世代の心境はどのようなものであったでしょう。
母達の世代は、思っていることをそのまま言葉に出すことをあまり美しいとは思わなかったそうです。
つまり、他人(ひと)さまのことを思えば、とても自分だけのことを主張するわけにはいかない、とのことです。
僅か68年前(わずか?かな?)の日本人の価値観と現代の風潮とは真逆ですね。
母達の世代が、なにも語らないからなにも思っていないなんて考えたら浅はかですね。
私達より余程他人さまのことを思いやってよくよく考えて自分のことは後回しに出来た戦中の日本人に想いを致して祈ります。
広島に長崎に日本に、
そして世界の未来に
神様の祝福の光が輝きますように。