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オフィシャルブログ、新たにオープンしました!

記念すべき一回目のアップは、京都で行われた

第一回河野裕子短歌賞」授賞式のトークショーの模様です。
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「寄港する夫に届けるこの写真ばんそうこうの訳を書き足す」




 
この日、「家族の歌」部門で見事に河野裕子賞を受賞された「下町あきら」さんの一首です。





私は、この一首に個人的な先入主観が入ってしまいました。





トークショーでは、他の受賞者の方も沢山いらっしゃいましたし、「河野裕子さんの視点」という座談会のテーマがありましたので何とも個人的過ぎる、この一首のことは、最後まで話さず仕舞いで終わりました。





今頃ブログで白状していますが(笑)





この一首は、かつての我が家そのものです。





私の父は、タンカー船の船乗りで一年のうち、わずか3ヶ月ほど共に暮らすというスタイルが日常でした。「日本と中近東を航海している父」というのが、私の幼い頃からの「お父さんのイメージ」です。





しかし、そんな父が日本には寄港しても私たちの待つ、長崎の家までは帰れない一週間ほどのショートステイがありました。





横浜や神戸と大きな港に父の船が着くと  母は幼かった二つ違いの姉と私の手を引いて父の元へ連れて行ってくれました。





やがて学校に行き出すくらいになると母は、一人で会いに行きました。これを船員用語で「面会」と言っていたのを憶えています。





きっと面会では、この歌のように私たち娘のことを写真まで持って行ったかどうかわかりませんが、成長のほどを話したに違いありません。





そんな「海の父」も定年で下船して「陸の父」となって、はや30年の月日が流れました。


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 さて  多くの人に愛された歌人「河野裕子さん」のことを  私は、実はお名前くらいしか知らなかったこともここで白状しましょう。





歌人と言えば、極親しい、俵万智さんの名前が浮かぶくらいでした。





ところが、昨年の10月くらいでしたでしょうか、「家族の歌/河野裕子の死を見つめた344日」というご本を、産經新聞出版の山本泰夫さんから戴いたのです。





それは、河野さんが亡くなられる前年から始まった、産經新聞でのリレーエッセー(ご主人と息子さんとお嫁さん、そして娘さん)を一冊にまとめられたものでした。





山本さんの思い入れもすぐに感じ取れましたし、私もまた、産經新聞の土曜日夕刊で「ほほえみ小箱」という連載エッセーを書かせていただいていたこともあり、不思議なご縁を感じていました。





そしてこの一冊は、河野裕子さんのことを知るに足るか、どうかは誰にも計れませんが、濃密な内容に満ちていたことは間違いありません。 





それは、一人の女性が、人として妻として母としてまた娘として「家族」を想い、歌にしていかれた「河野裕子」さんに出会える一冊でした。





五七五七七 に凝縮された言葉たちは、まるで一枚のポートレイトのようにハッキリとくっきりと家族の肖像画を何枚も映し出しては、読むものを惹き付けるのでした。





因に山本さんが、この本を私にくださった、もうひとつの理由は、その時に進めていた私の書き下ろしエッセー集「岡部まり シンプルライフ」の制作者が同じであるということを教えてくださいました。装丁朝倉まりさん、DTP佐藤敦子さん、は本年一月に出版した本をキレイに仕上げてくださいました。



 


そして今年の夏くらいでしたか、このイベントのお話を頂いたのです。





折しもNHKではプレミアムドラマ「歌の家族/歌人、河野裕子とその家族」というドラマを見ることが出来ました。





その内容は、前述した産経のご本にはない河野さんが描かれていてショックと同時にもっと深いところで感動してしまいました。





するとほどなくして「河野裕子短歌賞ではお世話になります」という達筆な万年筆で書かれた絵はがきをご主人の永田和宏さんより戴きました。





「歌に私は泣くだろう/ 妻・河野裕子 闘病の10年」(著者永田和宏)をご一緒に送ってくださいました。





感謝で読み進めて行くと、ドラマはこの本が元になっていることもわかり、途中涙が止まらないことがしばしば起こりました。 

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 さてイベントの日のお話に戻りましょう。





短歌と歌詞の違い等をリリィさんが話してくださり、「メロディがある」「短歌だと足りない」「一番と2番がある」等興味深い。





「私は泣いています  ベッドの上で~」の歌詞は、実は「ベッドではなく、こたつ…だったことが判明!!して一同大笑い!





印象的な歌との出会いは?との永田さんの不意の問いに大昔に初めて明治神宮にお参りに行ったときの話をしました。





明治神宮には明治天皇様と昭憲皇后様の詠まれた歌がしおりになっていて参拝者にもくださるのです。





「目に見えぬ神に向かいて恥じざるは人の心の真なりけれ」



「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」





当時若者でチャラチャラしていた、私のようなものでさえ、得心できる「判りやすさ、易しさ」で詠まれた歌は、祈りにも似たものを感じました。





すると永田さん曰く、明治天皇様は生涯10万首の歌をお読みになられたとのこと…。





何と永田さんも河野さんもお正月の歌会始の詠進歌選者でいらっしゃいました。





河野さんの出身大学、京都女子大のホールでの授賞式とトークショー。





「可笑しかったね死んだ私にさう言おう未だ魂がふらついてゐたら」





これは河野さんの歌ですが、「ふらついてゐたら」というより会場のどちらかでしっかりと明るく、優しくほほえんでいてくださっていらっしゃるように思えました。


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