五年の月日が経ち。母子の健全な分離と、母親も人間ってこと。 | すべて愛しい日々。

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Juneの日々の気づきや喜びをぽちぽち書き綴ります。

あれから四年。

この頃、娘の成長とともに、
娘の年齢だけ、自分も年を重ね、ここまで進んできたことを、思う。

娘は、今年2月で、4歳になった。

でも、私の意識としては、もっと長い感覚。

なぜなら、
娘をお腹に授かってから、産まれるまでが、相当濃い経験、時間を生きており、

実質、娘との付き合いは、
お腹の中から始まっている。

妊婦だった頃、私はいつも彼女の存在をそのまま胎内で感じてた。

あの頃から、二人で、
ずっと二人三脚で、やってきたのだ。

ほぼ、それは戦友に近い。



あっという間で、
この五年間、文字通り、ずっと一緒だった。

私が、やむを得ない理由で、
一泊二日の一人旅を強行した三回を除いて、

365日、毎日、毎晩、
仕事や外出以外は、一緒にいた。

寝るときも、ずっと一緒。

五年間。

これって、すごいことだなと、あらためて思った。

娘は、最近4歳になってから、
自我の芽生えが著しく、

私も躾を始めたので、

母子は、初めての分離を経験しつつある。

娘の子育てに、
さすがの私も疲れが出てきたか、

こんな私も、
愚痴や苛々が出るなんて、
言ってたほど、
子どもが好きではないのか、などと、思った。

子育ての愚痴をこぼすと、

同居してる実母に、
「あんたも、子供がかわいいなんて言ってたけど、それほどでもないのね」
と、嫌みを言われ、

「あんたが、自分で、
ひとりで育てるのを選んだのだから、仕方ない」
と、他人のような言葉をいわれ。

(どれほどまでに、この人は、、、)

と悲しみと憎しみ、
長年の、親からの、理解されなさに、
心の中で、茫々と涙を流す。

そして、自分を責められてるように感じ、
自分を責めて。

でも、わかった。

それも、全部、
他人の声、
他人の考えに過ぎないのだと。

実の親だって、他人だ。

子を産み、母親になってから、

私はようやく、
両親から、親離れできた。三十代にして。


私が、最善を尽くしているのを、
私と、
天が知っている。

だから、良いのだ。


子離れ、親離れは、
何回かのステージを踏みながら、
やってくるのだと、
子どもを育てながら、実感している。

娘と、私は、
いま、最初の、親離れ・子離れ。

母親との、
健全で愛ある分離を経て、
子どもの自我と魂は、
健やかに成長していく。

だから、そんなとき、
母親は、自分を責めることはない。

それも、母親の役割だし、

母親にも母親の人生があるのだから。

、、、こう、やっと、わかって、
すこしホッとした。

あー、もう、赤ちゃんみたいに、
ベッタリじゃなくてもいいんだ。
最重要、緊急課題では、ないんだーって、
安心感。

もう、そこまで全身全霊でなくてもいいんだよーって、
ゆるくってもー、
と、見えない存在に言われたような。

そして、よくがんばってきたよね、と、
自分を誉め、讃えたい気持ち。

誰が誉め、尊敬する訳でもない。

自分が、自分を、誉め、リスペクトするのだ。