最近、テーマの中に海外にいた時の「〇〇時代」というカテゴリーを作ったので、今日は新しい試みとして、過去を振り返ってみたいと思う。



 肩の力を抜いて



日本で「がんばる教」に入って(笑)、社会の中で揉まれ、通勤電車にイライラしながら乗車していた日々を過ごしていたあの頃。(遠い目)


オーストラリアでもすぐにそれが抜けたわけじゃなかった。


でも、人々のフレンドリーな笑顔、やさしい言葉や態度に触れていくうちに少しずつ、時間をかけて心が溶けていった気がする。




広い公道、低い建物、夜遅くにはお店が早く閉まる世界。人口も東京よりずっと少なくて、全てが新鮮だった。



現地の英語nativeの大学生たちと競ってアルバイトを見つけなきゃいけない時、とても苦戦した。でも、最初から完璧を目指さずに、今の自分が抵抗なくできる仕事を紹介してもらえ、そこから少しずつ自分の希望する仕事に就けた。



日本人が働くジャパレスでは、日本のように嫉妬や競争意識で支配された人たちが働いていたが、日本人以外が働くジャパレスに移った時、全く違う世界にシフトできた。同じ国、同じ地域で同じ業種でも、経営者や働く人が違うとこうも違うのかと思い知った出来事。待遇も人間関係も向上した。




現地のアジア系オーストラリア人の友人たちと。



少しずつ、英語ネイティブに対する引け目だったり、「仕事をがんばる」という「がんばる教」から抜けれるようになったと思う。



また少しして、職場を変えた。




同僚宅にて。


「旅行するためにガッツリ稼ぎたい」と思ってたので、どんな仕事でもいいと思った。注文聞いたり慌ただしいwaitress の仕事より単調な、工場の仕事。


つまらなかったけど、順調にお金は貯まった。



同僚宅の庭にカンガルー。


どこの国にも意地悪なおばさんはいるもんで、私のセクションにもいた。彼女は作業量を一定にするために、結構な声で叫んで我々にプレッシャーを与えてくる。


お金が貯まったらところで、嫌なおばさんともさようなら〜。(あーよかったダッシュ)


1年という期間が決まってたからこそ、お金を稼ぐことだけに注力したくなかった。使う先がなければ、何のためにお金を稼ぐのか。


常にやりたいことの軸があったことと、時間が有限だったことから、フットワーク軽く仕事を変えられたのだと思う。(これは人生にも通じると思う)


スティーブジョブズが言ったように、人生は短いのだから、他人の人生を生きる時間はないのだ。


オーストラリアの人たちの、「仕事はあくまで人生を楽しむためのツール。人生こそが軸」って考え方に、今までなんで「がんばる教」に入っていたんだろうと、呪いが解けたのだった。


がんばるは夢中に勝てない。



本当にそうだと思う。
肩の力を抜くことを覚えたら、ずっと生きやすくなった。