今朝のニュースで、

94歳のお母様が息子さんの手によって命を奪われてしまったという、

胸の締めつけられる事件を知りました。

場所は、杉並区。


とてもデリケートな出来事ですが、

どうしても心に残ったことがあって、今日はそれを書いてみようと思います。


報道によれば、

息子さんはお母様の両足をつかみ、階段から引きずり下ろしたとのこと。


つまり、お母様は二階で生活していた。

94歳で、階段を上がることができていたということです。


これ、すごいことだと思いませんか。


94年という歳月を重ねて、

なお自分の足で階段を上がれる身体を保っていた。

その生命力は、本当に尊いものです。


けれど、年齢と「できること」は、必ずしも一致しません。


階段は上がれても、

お風呂の手順がわからない。

衣服の脱ぎ着が難しい。

湯加減の判断ができない。


認知症があれば、そういうことは十分にあり得ます。


私はデイサービスに勤務していた頃、

入浴中の事故で利用者様を亡くした経験があります。

溺死は、決して珍しい事故ではありません。

親戚にも、同じようにお風呂で亡くなった方がいます。


だからこそ、

「早くお風呂に入れたかった」

という言葉が、

他人事に思えないのです。


お風呂を嫌がる高齢者は多い。

私たちは「お風呂」

という言葉を使わず、

うまく誘いながら、

気持ちが向くのを待つ。

それでも思うように

いかない日もあります。


息子さんは、

きっと自分でお母様をお風呂に入れていたのでしょう。


ヘルパーさんを頼む

選択肢はなかったのか。

頼らなかったのか。

頼れなかったのか。


介護は、愛情だけでは続きません。

体力、時間、経済力、

そして心の余白が必要です。


94歳まで生きられた命。

それは奇跡のような時間です。


けれど、その最期がこうした形になってしまったことは、

ただただ惜しまれます。


この事件は、

誰か一人を責めるだけでは

解決しない問題を

私たちに突きつけています。


介護は家庭だけで抱えるもの

ではないこと。

限界になる前に助けを求めることは、

決して弱さではないこと。


長生きが祝福になる社会であるために、

支える側も守られる仕組みが必要なのだと、

改めて感じました。


静かに、

でも忘れずに考え続けたい出来事です。