自己啓発本のようなタイトルになったがドンマイ。
俺の周りには、料理好きな人や調理師が多いけど、同じくらいに「料理下手」も多い。 特に、日本にいる俺と同じくらいの歳の女友達は、ほとんどが料理苦手。 格好だけ真似てル・クルーゼの鍋やお洒落な食器は揃えているけど、作る料理はインスタントラーメンやパスタ(もちろんソースはレトルト)とか、そんな感じ。
今、高校生のマヨチンが頑張って料理を勉強している。
ちゃんと自分で作り、味を見て、自己採点までしている。
まだ上手じゃないと言っていても、悪かった所を確認し、次の課題を自分で用意し、「料理は楽しい」なんて言っている。 これってとても良い事だと思う。 勉強とはこういう事だから。
こういう姿勢があれば、今がどんなに下手でも、5年後や10年後には同年代の女性との間に歴然な差が生まれる。 社会に出てからは料理に時間を割く余裕も無くなるし、一人暮らしで自活していれば、外食で済ませる事が多くなりがちだから、そこで初めて「私って料理下手!」と感じても、わざわざ勉強しようと奮い立つ人は少ない。 食べれるレベルならそれでいいや、みたいな。
一人分の食材を揃えて料理をしても、外食の方が安く上がるご時勢。 まして外食の方が美味しかったりすれば、自分で料理をするメリットすら無くなり、ますます料理から離れてしまう。 一度離れてしまうと、それに関するあらゆる情報を無意識のうちにシャットアウトしてしまうから、料理への関心は失せ、知識も何も身に付かないまま過ぎてゆく。
その結果、「米の研ぎ方が分からない」 「野菜の茹で加減が分からない」 「肉の焼き加減が分からない」 「調味料の使い方が分からない」……といった、「料理下手」になってしまう。
なにも、完璧に美味しい料理を作れる必要は無い。
まぁ、作れるに越した事は無いが、食への興味・関心を絶やさず持ち続ける人は、少なからず食への敬意を持っている。 人の作った料理に「どうやって調理したのか?」と興味を抱いたり、「ここはこうしたら美味しくなるのか」と新たな知識を培いながら、人の手の掛かった料理を食すようになる。
これが常となれば、料理の腕や勘も上達する一方で、気付けば「料理上手」になっている。 料理学校に通わずとも、人を喜ばせる美味しい味を作り出す基本を手探りで習得する。 家庭で料理を振舞うくらいなら、このレベルで十分。 十分過ぎると思う。
なので、食べる事が好きな人には、自分で作るのも好きな人が多い。
食への情熱無しに知識と技術だけで作られた料理は、味は調っていても感動が無いのだが、食を愛する人の料理にはガッツリ胃袋を掴まれたりする。 それはやはり、日々感じ取った些細な情報が料理に活きているからだからだろう。 そこには食べる人への配慮や思い遣りもあって、心から有難く食す料理となる。
マヨチンには、是非このまま料理を続けて欲しい。
包丁を使わずハサミで調理をする人が増えている昨今、わずか高校生の日本人の女の子がキッチンに立っているなんて、やっぱ日本を遠く離れていても、同じ日本人女性として誇りに思うわけだ。