歴史を見てはいけないと言う。それはそうだ。
が、当時の価値観を想像したとしても、その不条理に涙を飲んだ人たちのことを考えざるを得ない。
今日は幼子殉教者の日。
この日犠牲となり聖人となった赤ちゃんたちは、キリストのために死んだのか?
(ただし近年の研究でヘロデ王政による幼児大量虐殺事件は史実ではないのではないか、と言う説が有力視されています)
変わらない価値観がここにある
そんなばかなことはあってはならない、でも時代がそうだったからあの時は不合理を受け入れて自分の心を無くすしか術がなかった、という人たちに少しずつ光が差し始めているのを感じる。その次の、さらに次の世代が育ってきて、そんなのおかしいじゃんとはっきり言える空気が生まれ始めたからだ。
コロナ禍の感染対策として換気への意識がとても高まったが、お御堂の中にいる人たちの間にも換気の意識が進んだのを感じる。私は幼児洗礼ではなくF葉関係者でもなく、その「界隈」あたりとは全くの関わりを持たない新参者だけど、コミュニティ内の空気が分かるくらいの時間は経った。真ん中まで新しい空気が届くにはまだ時間がかかりそうだけど、確実に新鮮な風が継続して入ってきているのを感じる。
いつでも新鮮な風が吹き込む場所にいたいと思う。新しい人、戻ってくる人のための場所を作れますように。なんなら奥の方へ風を送ることができますように。

