私は、以前付き合っていた人に

「何もしないでも、一緒にいるだけでいいのに、

ちがうの?」と、3人も言われた記憶があります。

それが、自分だなんて思ったけど……


今日、テレビで

「意味のないことをできるだけやるんだ」

「何かに意味を探すことも大切だけど、

かといって、意味のないことが大切じゃないとは言えない」

と、違う番組でおんなじことを言っていて、

母親と目を丸くしました目


みっちゃんと出会って、いつも何かを探して

どこ行こう、なにしよう と、忙しく

動いていた自分に、違う世界が増えました。


ゆっくり時間を過ごすこと、

休むこと、

何もない時こそ、何かがあるということ。


朝起きて、「今日はなにしよっかな?」って、

天気や、自分の状態で、ゆっくり考える

そんな時間がもてたこと。


実は、小さい時はそんな風だった。

何も予定なんてなくて、

今の自分のしたいことをすぐにできていた。

ボーっとすることも大好きだった。

何もしないで、ベランダから、ハトをみてたり、

空をみてたり、

石をみてたり……無意味なこと大好きだった。

そんなことを、思い出せた。


休んじゃいけないなんてない。

無意味な会話ほど楽しい。

答えを求めることがすべてじゃない。

そういう、大事な大事なことを

教えてくれました。


ありがとう。
みっちゃんと一緒に夜なべして作った本の在庫表などを

チェックしました。

おいていただいた方、購入していただいた方、本当に

本当にありがとうございますニコニコ

最初、本作りに取り掛かる時に、みっちゃんの詩を

二人で選別しました。

言葉の強さ、字の感じ、行間……

あーだこーだ言いながら、それでも、産みの苦しみだから

大変ではあったけど、毎日達成感がいっぱいでした。

どんな風にみんなのもとに届くのかキラキラ

二人で宝地図を作り、イメージしてましたMarga Lamhita(マーガ ラミータ)の Happyブログ

みっちゃんは「私の大好きな人へ…」と、書きました。

まだ、形にはなっていなかったけど、イメージはクリアでした。

そして、友人に最初の詩だけかいた手書きのものを見せに行きました。

友人は「直筆だと、少し、強すぎるかな」と、アドバイスをくれ、

また、二人で、どの部分を直筆にし、どの部分をPCの字にするか

相談しました。


みっちゃんは、病気になってすぐの頃、

雑誌などで使われる、あのツルツルした紙を触るだけで

寒かったようで、

だから、手で触れたときに温かみのある和紙にしたいと思っていました。

でも、和紙なんて高くって、それでも、あきらめず、思い続けていました。

すると、母親の働いていたところの社長さんが和紙を分けてくださる

とのこと!!クローバー

奇跡っておこるんだ!!!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ

と、二人して大喜びでした。

Macと、プリンターを買って(それも、いい具合にありがたい

情報が友人から入り、お得な買い物でした☆)きて、

PDFとか勉強して、和紙に印刷しました。

それが、第一号の作品です。

和紙をくださった社長さんにプレゼントしました。

それぞれの大事な人用にキープしました。


あとは、友人のお店におかせてもらいました。


プリンターは、ご機嫌斜めになると、ちいとも動かず、

Macもそうで、二人で、機械に向かって

「がんばれ、がんばれ!」なんて、言いながら

印刷して、製本してとやりました。

和とじも勉強したのですが、

一冊ずつ印刷して、製本して……とやるだけで、

何日も費やしたので、和とじは断念しました。

みっちゃんと、見本となる和とじのノートを買いに

大須の「紙の温度」というお店に行きました。

テンションがすごーく上がりましたアップ


その後、やはり、もっとみんなに読んでほしいと

考え、印刷屋さんを探し始めました。

紙にはこだわりたかったので、手で触っていいものを

使おうと決めました。

そういったものは高いのですが。


そして、絵も入れたかったので、友人に詩を送りました。

フィーリングで絵を描いてもらいました。

結果は、私たちは本当に大満足でした晴れ


みっちゃんの詩の背景にあるものは伝えていないのに、

その部分が描かれていたりしました目

二人で驚きました。

そして、表紙は妹に作ってもらいました。

そのころ、二人は言霊、しかも“愛”“感謝”のもつパワーを

ひしひしと感じていたので


愛と感謝を点になるまで小さくしてそれを使ってデザインしてもらいました☆

オーラソーマで学んだ色の意味も考えて、その色を使って表紙に

してもらいました。


印刷について全く私たちはシロートなので、

たくさん本を買ってきました。

勉強したり、知人に尋ねたり。


印刷屋さんは弟と友人が骨を折ってくれました。

値段の関係で友人が見つけてくれた製本屋さんに

お願いしました☆

紙はやはり、気に入ったのはとても高く、

私たち二人も予算があったので、

その中でいいものを選びました。



それからは、データのやり取りを重ね、

出来上がりを待つのみでしたラブラブ
そもそも、私が先生になろうと思ったのは、

小学校1、2年生の時の担任の先生がもとです。

みっちゃんも以前ブログに書いてくれていました。

私の家はけっして裕福ではありませんでした。

おもちゃや、お菓子など周りの子が買ってもらって

喜ぶ姿をみるのが何とも言えませんでした。

かといって、両親におねだりするなんてできず、

心配かけたりなんて、したくないので、

外でやんちゃに遊んで日が暮れてという毎日でした。


ある日、担任の先生が誕生日会をひらきました。

その月生まれの子どもたちを黒板の前に座らせました。

私はその中の一人でした。


そして、「この中の好きな子に誕生日プレゼントを渡しなさい」と、

先生は言いました。

私は、とっても怖かったです。(もし、誰にももらえなかったらどうしよう……

お母さんに友達いないって思われたらどうしよう……)と。

母親が、友達いないことを心配するんじゃないかって思ったんです。

かわいそうとか、そんな風に思われては一大事!!だったんです。

元気でやんちゃがうりだったのでにひひ

そして、案の定プレゼントの量にとっても差がでました。


私は、帰り、一番たくさんもらった子のロッカーからはみ出ている

プレゼントを盗って帰りました。


そして、母親に「今日ね、プレゼントもらったんだよ!!」と、

見せました。すると、「○○ちゃん、これ、他の子の名前が書いてあるよ……」

と、母親が小さく言いました。私は間違えたんじゃない?!なんてごまかしました。

他の子宛てのプレゼントを、喜んで見せる我が子をどう思ったのでしょうか……。

翌日、幼い妹をおんぶして、母親が教室に現れました。

みんなの前で謝ってくれました。妹の姿と、茶色いコートが

とんでもないことをしてしまった!!!と、後悔に変えてくれました。

下手に怒られるより、自分のために頭を下げてくれる人の姿が一番

こたえます。


そして、母親が帰ってから、先生は私をみんなの前に呼んで、

「どろぼう」と、手の甲をつねりました。


自分の席に戻る間顔なんてあげられませんでした。

さっきまで一緒に笑って話していた、となりの席の男の子に

微妙な笑みを浮かべ、それ以来その子とは会話をしていません。



その後も、色んなことを先生はしました。

私の絵が選ばれ飾られた時、違う子の名前を書いて貼りだしていました。

あの日以来ビクビクしていた私は、「…先生…これ、私の絵…」と、

勇気を出して言いました。特には何もしてくれませんでした。


そんな事が色々あって、でも、子どもはどこか、期待するんですね。

先生に気に入られようと。先生の話す話が好きだったから。



でも、ほかの子が泣きながら先生がこうしたという相談にのっていたら

あんな風に子どもを傷つける人が先生になるなら、

自分が先生になる!!!と、心にかたく決心しました。


反面教師ですね。

ある意味感謝しています。そんなに早い時期から夢ができたわけですから。
今回からテーマに“Marga Lamhita”を加えました。

このブログのタイトルにもなっている名前です。

これは、私がインドへ行っていただいた名前です。

みっちゃんのことを色々書くのと同時に、

私たちが大事にしてきた、この仕事と、この名前について

書いていくのは避けて通れなくなりました。



思い出を綴っていくにしても、みっちゃんの

個人的なことを書くことはできません。

でも、私の個人的なことを私自身が書くことで、

それに対してのみっちゃんの返しが

どれだけ、私を救ってきたかを表せると思いました。

と同時に、みっちゃんが、たくさんの人たちに伝えてきたことの

断片を表すことになると考えました。

そこで、ブログのテーマを一つ増やし、ここに書いていくことにしました。


よろしくお願いいたします。
今晩から車で小豆島まで行ってきます。

17日に帰宅予定です。

気持ちを引き締めていってきます。