1999年 1~3月

チューリップ赤同室の友だち Aさん 

30歳くらいの女性で、女の子のお子さんが2人いた。
1年前突然腎不全になり、人工透析をしていた。
今回は、肝臓の値が高くなって、安静のため入院していた。

そこで私は初めて「人工透析(じんこうとうせき)」というものを知った。

「人工透析」とは、医療行為のひとつで腎臓のろ過機能を人工的に代替することである。

人工透析になると、専用の血管にしなければならないので、動脈と静脈の血管を太くつなぐ手術をする。

1日おきくらいのペースで病院に通い、3時間以上は点滴のようなものにつながれ、機械が腎臓の代わりをしてくれる。
それをしないと、毒素が体に回って危険な状態になってしまう。

ろ過できる水分の量も決まっているから、どんなに喉が渇いていても、飲める水分の量も決まっている。

なので、その人は氷を口に含んでしのいでいた。

タンパク質も摂りすぎてはいけないので、すごく少量のお肉とかを食べていた。

その方は、退院してからもたまに病院で会って、お父さんの腎臓を移植してもらい、透析はしなくてよくなった、と聞いた。

そしたら今度は1日2リットルの水を飲んで腎臓をきれいにしないといけないらしく、たくさん飲まなきゃいけないのも大変だ、と言っていた。

元気そうだった。


チューリップ黄同室の友だち Bさん

その人の次に来た、30代後半の女性。

小学高学年の子どもさんが2人もいるとは思えないほど、かわいい人だった。

薬の治療で髪が抜けるかもしれないから、と髪を短く切ってきたらしい。

すごく人生を楽しんでいる人だなぁって思った。

2ヶ月くらい一緒だった。

病名はよくわからなかった。
みんな自分から病名を言わない限り、人には聞かなかった。

骨髄液をとって検査をしていた。
すごーく痛いのに、新人の先生がお試しでいきなり来て採ろうとして、針さしたのに失敗して、その後遺症が痛そうでかわいそうだった。

ステロイド、私と同じ薬を週末2日間だけ、12錠飲んで、あとの5日間は飲まない。という治療をしていた。

主治医の先生もたまにしか来なくて、ホルモン剤なのに、そんな極端な飲み方をして、いいのかな…って、疑問が多かった。

その後、私のほうが先に退院をした。

何度も会いに行ったけどいなくて、自宅に電話をかけてみた。

そしたら、実家のお母さんが出て、今、ちがう病院に入院していて、治療中だから面会もできない状態と聞いた。
「あなたはよかった?」と病院のことを聞かれた。
その人には、合わなかったらしく、ちがう病院へいかれたらしい。

「では、大丈夫になったら会いに行きます。またお電話します。」と言った。

その時は、また会えることを疑いもしなかった。

年末、年賀状の季節、12月、喪中のハガキが届いた。

10月に天に召された、とのことだった。


生きること、いっぱい楽しんだからだよね?

これは、ドラマじゃない。今、私に起こっていること。

「生きること」を突きつけられた気がした。

字がとてもきれいな人だった。

私は10年経った今も、その人の笑顔しか浮かばない。

「ありがとう」


チューリップピンク同室の友だち Cさん

Bさんと同い年くらいの30代の女性。

幼稚園の男の子のお子さんがいた。

どう見ても20歳くらいにしかみえない、かわいい人だった。

BさんとCさんと私と、年配のおばあちゃんたちにかわいがってもらった。

Cさんは、腎臓の炎症でステロイドを飲んでいた。

そして、順調に回復していった。

その後、ステロイドもやめ、退院から2年後くらいに、女の子を出産した。

新しい命が生まれていた。

「希望をありがとう」

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友だちはみんな大学を卒業して、就職して、社会に出ている中で、私は一人何も進んでいない気がしてた。

だけど私は、同室の仲間たちから、普通の生活をしていては学べないことをたくさん学んだ。

こうしてブログに書くことは、自分にとって、少ししんどいことだけど、私にとってとても大切な出逢いだったから、書こうと思った。

その人が生きて、出会ってくれて、私はうれしかったから。

私にしかできない経験だったと思うから。

病気をしたりすると、どこか人から置いて行かれたようなキモチになる。

だけど、みんなその人にしかできない経験をしている。

その人にとっては当たり前でも、1つ1つがとても尊い、と私は思う。



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