現在、立花道雪のレビュー中なのですが
それで疑問に思った事が1つ


戦国末期の九州の大大名三家(大友、島津、龍造寺)
の中で生き残った島津の殿様は

『名将』と謳われていまずが
滅亡した、大友家や
乗っ取られた龍造寺家の殿様の評価って
本当に散々たるものです。


何故、大友家や龍造寺家の当主が
比較的暴君に近い感じで描かれるんだろう?
その理由を少し考えてみました。


龍造寺は『鍋島直茂』が乗っ取り大名になり
大友は滅亡前に『立花宗茂』が
秀吉の直参となり独立した大名になっています。


何となくですが、両家とも
元の主家に対して、後ろめたい気持があって
乗っ取ったり、独立した理由は正当なものだよ!

と主張する為に
自分トコの元殿様は、酷いヤツだったんだ!
しかも、それを継いだ2代目はより一層ボンクラで
どうしようもなかったんだ!!!
と、吹聴し、自家の正当性を強調していたのではないかと思うんです。


それともう一点
以前、何故朝倉家義景は愚将として描かれるか?
ってのを書いた時と同じ理由で

権力者のご先祖様を悪く書く事など
江戸時代にできるワケもなく

両家の始祖(道雪、宗茂、直茂)は英雄として
地元では畏怖されています。

そのご先祖様を
忠節溢れる名将として際立たせる為

必然的に宗麟や隆信は愚将やら暴君やらに
書かれていったんじゃないでしょうかね?


実際のところ、大友宗麟や龍造寺隆信
ってのは、能力のある人物だと思います。

宗麟の晩年は、確かに衰えが目立ち
政策に失敗が多くなりますが
いくら道雪みたいな人物が下にいても
まず、バカ殿が六カ国の太守になるなど不可能でしょうし

龍造寺隆信も、粗暴な暴君だけであるなら
義弟に鍋島直茂がいても
五州二島の太守になれるワケがない(^_^;)

そう思いながら、只今『立花道雪』のレビュー中です・・・

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