行間の向こう側
Amebaでブログを始めよう!

ジェンキンス氏、母親と40年ぶりの再会の裏に

拉致被害者の夫としての立場


脱走兵としての自分の過去


そしてすべてに何の関係もなく生まれてきた子供たちへの思いと責任

JR脱線事故に乗っていた運転士二人


その時自分の行動を決するに基準とすべきものは何なのだろう


会社の業務規定?


自分の“人”としての生き様?

JR西日本の対応

事が起きる。


起きた事の重大さの認識は保身の側から働き、被害者の痛みには届かない。


組織には顔がないと言われるが、人としての心さえも封じ込めてしまうものであることにもっと恐れを感じるべきなのではないだろうか。






松下電器の石油温風機で小学生死亡

 

「誠意を持って対処したい」と頭を下げる

 

“誠意”は自分からだけの視点、そして失われた命には届かない

 

時に“誠意”という言葉は自己弁護以外の何ものでもないカラカラと乾いた紙切れ一枚のように聞こえる

 

反日デモに思う

他国のことをどれだけ知りそしてそれをどれだけ客観的に情報として自国民に与えているだろう

 

自国のことでさえ真実を国民に伝えまた教育しているとは限らない

 

時の政権にとってあるいは外交にとって有利な“事実”だけが“真実”の扉を通ることが許されているのかもしれないのに

 

 

散り方が潔いから好き

 

一年に一度の短い花の命だからこそその儚さが好き

 

でも本当は賑やかそうに楽しそうに輪になって花見をしている人たちの側に自分も入っていたいのかも・・・

 

 

 

“話題”

「○○が“話題”」と話題にまだ至っていないことも“話題”とキャッチコピーに入れれば

 

人は「そうか、話題なんだ。」と認識する。

 

話題は作られるのではなく、作り話題として認識して欲しい対象の脳に刷り込むものでもある。

インターネットと既存マスメディアの融合の是非

個人が手軽に情報発信出来るインターネット

その多くの利点と裏腹に潜む情報の信憑性をある程度人は選別出来る

しかし、個人が有する時間と組織が有する時間の差は情報の質以上に見る側の時間的密度に影響する

思った以上の自分の力

クマにかまれ飼育係が死亡


自分はとってはちょっとした遊びでも、他愛のないことでも

二つの存在の間に大きな感覚の違い、力の違い、認識の違いがあれば

相手を深く傷つけてしまうことが人間同士にだってあるのかもしれない


注:この事件の真相は現時点で公表されていないので、例えとしてこの事件を取り上げています。

携帯

体の一部のように感じるほど密着した存在なのに

アドレスは友達の登録でいっぱいなのに

【着信】がない時間と、ぽつんとした【孤独】を感じる時間の長さは比例して伸びてゆく