操作万能主義の罠 | マレーの虎ブログ

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19世紀多くの中国人が分断国家に成り下がった故国を離れ、
海外に散らばった。そして異国の地で力を蓄えた華僑が、現在の
先進中国の足がかりを作った。

21世紀、今度は日本を離れた和僑たちが、同じ役割を担うこと
になるのか・・・。?


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前回の記事に対する反応が、ちょっと気になるところです。

これは、私の感覚ですが、昔は9割が真っ当なビジネスをして
いて、1割が怪しいビジネスだった。

ところが今は、まったく逆転して、1割がまともで、9割が怪し
いように感じる。

これは、主観的な感覚なので、それぞれ意見が分かれるかも
しれませんが・・・。

格差社会が広がっていることを明示している事件やニュースが、
頻発しているが、その実態は・・・

搾取と操作【マインドコントロール】が、極限にまで高められ
つつあるという感じがしています。


昔は、人を疑ったり、社会を疑う行為は、変わり者、非行と
避難されたが・・・

今は、無邪気に人を信じ、社会に安住する行為は、自殺行為
に近いことを、感じられる人も増えている。

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科学技術の発達は、私たちの生活を脅威的に快適にしてい
ます。確かにこれは、間違いなく幸せなことなんですが・・・

私たちの脳と精神に、果たしてどんな影響を与えているので
しょうか?

便利になった分だけ、私たちの脳から、創意工夫というものが、
ドンドンと抜け落ちていってないでしょうか?

昔は、創意工夫して、遊びを考えたり、仲間どうしで、連携
したり、ケンカしながら、多くのことを学んでいました。

今は、あらかじめプログラムされたゲームを、次から次と攻略
することで、創意工夫の疑似体験を無限に繰り返しているだけ。

ゲームも学校教育も、基本は同じ。

あらかじめ誰かにプログラミングされたものを、徹底的に学び、
それをマスターする事に夢中になっているだけ。

今の政治や経済や評論家の話を聞いていても、所詮、それ
ぞれ、ある一定のプログラムされた意見を述べているだけ。

私には、みんなプログラムされているだけにしか見えない。

今、世の中を動かしている人間や、創意工夫をして、ドンドン
と新しいビジネスを動かしている人間は、皆、プログラマー
だと思います。

反対に、多くの人は未だに誰かから与えられたプログラムを、
無定見に信じて、それが絶対だと思い込んでいる。

比較的安定した組織やプログラムにいる人は、まだ、自分が
寄って立つ、基盤を疑わなない方が、幸せな人もいるが・・・

私からすれば、そうした状態でいられるのも、もはや時間の
問題だと思う。

自分の組織や基盤が怪しくなった人や、崩壊した人たちは、
そのプログラムが、絶対でないと分かると、今度は、次から
次へと、新しいプログラムに飛びついていくことになる。

残念ながら、既成のプログラムをいくら追いかけても、虚しい
だけ・・・。

結局、自分で再プログラムをしないと、自分に合ったものが
永遠にもてない。

そして、その自分に合ったプログラムも、時間や環境の変化
に合わして、ドンドンと書き換える必要がある。

つまり、操作される人間になるか、自ら自分の人生を操作でき
る人間になれるか・・・

あなたには、今、自分の人生を自分でプログラムする能力が
求められている!


そして、次が、科学万能時代における精神的な影響の側面。

バーチャルの怖さは、万能感を育てると言う側面がある。

ゲームの中では、誰もが神になれる。


成功も失敗も自由に無意識でコントロールできる。

どういう意味かというと、そのゲームのプログラマーとの勝負
だけなので、その他の不確定分子を一切考えなくて良い。

だから、やればやるほど、基本的に上達するので、万能感が
無意識で養われる。

ゲーム世代でもある今の若者が、自分の思うようにならない
現実の場面で、忍耐力がなく、直ぐにキレたり、あきらめたり
するのは、こうした原因が考えられる。

現実は、どんなに精巧に作られたゲームより、複雑で不確定
要素が無数に存在する。

ゲーム上での万能感に慣れ親しんだ世代であればあるほど、
こうした、自分がコントロールできない因子に出会う度に、
大きなストレスを感じることになる。

たまに、プログラムされたゲームを遊びながら、プログラミング
をマスターする天才が現れるが、彼らは、ビジネスをまさに、
ゲーム感覚でプレイしている。

忍耐力がなくなってきているのは、ある意味、避けられない
ことで、その分、私たちは洞察力を高めるしかない。


洞察力が深まれば、結果的に頭脳忍耐力が付くだけでなく、
不確定要素が多い現実的課題に対しても、柔軟な対応能力を
養うことになる。