以前のブログで
「問題作成は巧妙な嘘をつく仕事」だと書いた。
執筆が、嘘つきでないとできない仕事だとしたら、
校正は、意地悪でないとできない仕事だと思う。
うちのスタッフは校正の仕事をしてもらうことが多いのだけれど
(というか、執筆は完全に私がするので、
スタッフは編集補助以外、ほぼ校正業務)、
私はよく、スタッフに「バイト楽しい? つらくない?」と尋ねる。
単純に、楽しい環境で働いてほしい、というのもあるけれど、
校正というのは、その作業自体をおもしろがらなければ、できない仕事だと思うからだ。
校正は、基本、性悪説に基づく仕事だと思う。
「基本間違いはないはずだけど念のため」またいな目で見ると、本当に間違いを見つけられない。
「間違いがないはずがない。
砂粒みたいなミスでも必ず見つけてやる」という強い気持ちによって
重箱の隅をつつき、揚げ足をとって
「どうよ、ここ」と突っ込むことが
楽しい!と思えなければ、間違いを見つけることはできない。
だから、スタッフには、鉛筆の指摘はどれだけ馬鹿馬鹿しいと思っても、
とりあえず気になることは全部書いて、と言っているし、
その中で「おお、これはナイス指摘!」と思ったら、必ずフィードバックしている。
これは、本当に性格が出る。
「えっ、本当に?」というくらい、「ありません」で流す人もいるし、
「よくそこに気づいたね」というところに気づく人もいる。
能力というより、性格の差だし、
それが向き不向きだと思う。
でも、もちろんその中にはほぼ言いがかりだったり、
的外れだったりする指摘もあるわけで、
それを取捨選択選択し、オブラートに包むのは、私の仕事だ。
特に、著者に戻す校正は気を遣う。
どんな著者も、プライドを持って作った「作品」に言いがかりをつけられるのは
決して面白くはないことだ。
以前、編集を引き受けた仕事、もともとの著者が執筆要項を完全にスルーして書いていたが、
大幅な赤を入れて返したところ、そのまま中途退場され、
結局全面リライトも、こちらで行う羽目になった。
また、逆に私が校正される側のとき、
殴り書きで「問題不成立との意見多数」とか書いてあると
本当に心を折られる。
毎年、一番つらい著者校正である。
姑並みに意地悪な性根は巧みに押し隠し
(あっ、うちは嫁姑仲良しです言葉の綾ですお義母さん!!)、
心情的に受け入れやすい形で改善策を提案する、という姿勢は
やはり、人間対人間では、絶対に必要だと思う。
そんなこんなで、
「名執筆者は必ずしも名校正者ではない」。
ちなみに私は、そこそこいじわるな性格なので、
校正ではおかげさまで一定の評価をいただいているが、
校正はあまり積極的にやりたくはない作業で、
お仕事の依頼をいただくと、
「はい、校正します。
次回は何卒、執筆を! 執筆を!!」と連呼している。
私はいじわるだけれど、
校正者のもう一つの、そして最大の資質
「緻密で几帳面であること」が
決定的に欠落しているからだ。
校正のお仕事では、なけなしの几帳面さを
耳の穴から踵まで、集めてきてなんとかお仕事しているのであった。